福澤諭吉の漢詩(6) 丁酉元旦
作者
福澤諭吉原文
丁酉元旦成家三十七回春
九子九孫獻壽人
歳酒不妨擧杯遲
卻誇老健一番新
訓読
丁酉元旦家を成して三十七回の春
九子九孫 寿を献ずる人
歳酒 妨げず 杯を挙ぐること遅きを
却って誇る 老健の一番新たなるを
訳
丁酉の年の元旦家庭を持ってから三十七回目の新春
九人の子、九人の孫がみな私に年賀を贈って長寿を祝ってくれる
最年長の私は屠蘇を飲むのが遅くなるが構いはしない
この年寄りの丈夫な体が新年を迎えてもう一度新たになったのを誇ってやろう
注
丁酉:ひのとのとり。明治30(1897)年。成家:結婚して家庭を作る。福澤の結婚は文久元(1861)年なので、結婚後に新年を迎えるのは明治30年の正月で36回目というのが正確ではあるが、あるいは文久元年の正月も含めて37回目ということであろうか。
九子:九人の子。長男一太郎、次男捨次郎、長女さと、次女ふさ、三女しゅん、四女タキ、五女みつ、三男三八、四男大四郎の九人。
九孫:九人の孫。長男一太郎の子の遊喜・八十吉・八重、次男捨次郎の娘の園、長女さとの子の愛作・壮吉、次女ふさの子の駒吉・辰三、四女タキの娘の美保の九人。
獻壽:品物を贈って長寿を祝う
歳酒:本来、その年に作られた新酒のことだが、ここでは、「歳旦酒」、つまり、正月元旦に飲む酒、屠蘇のことであろう。
擧杯遲:屠蘇は年の若い者から順に飲んでいくので、最年長の福澤が飲むのは最後になる。
老健:年をとっても身体が健康なこと。また老練で勢いの強いこと。
一番:一回。一回目。
餘論
新年明けましておめでとうございます。ことしの干支は丁酉(ひのとのとり)ですので、同じ丁酉の年であった明治30年(1897年)の元旦に作られた福澤諭吉の詩を紹介します。ただ、この詩の後半はやや意味がとりにくい感じがします。「老健一番新」の意味をどう解するかですが、「一番」という古典漢語に現代日本語のような「最も、いちばん」の意味はないので、「この老体がいちばん新しい」という意味にとってしまうと「和臭(漢詩の中に日本語でしか通用しない使い方の漢字・漢語が含まれていること)」になってしまいますので、ここでは「もう一度新たになった」と訳しました。しかし、福澤の詩には和臭を避けていないものも多くみられるので、あるいは福澤自身は「いちばん新しい」の意味のつもりで作った可能性はあります。
なお、転句末は本来、仄声でないといけませんが、この詩は平声の「遲」になっており、平仄のミスといえます。福澤の詩の多くは手紙などに書きつけられたもので、それほど時間をかけて推敲したわけでもないのでしょう。専門の漢詩人なわけでもないので、あまり細かい点に目くじらを立てても仕方ないかもしれません。
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿