渋沢栄一の漢詩 解印 其二(印を解く 其の二)

作者


原文

解印

官途幾歳費居諸
解印今朝意轉舒
笑我杞憂難掃得
獻芹留奏萬言書

訓読

印を解く

官途 幾歳 居諸を費やす
印を解いて今朝 意 転た舒ぶ
笑ふ 我が杞憂 掃ひ得難きを
献芹 留奏す 万言の書

辞職する

官吏の世界で何年の月日を費やしたことだろう
今朝、官職を辞して、気持ちはいよいよ伸び伸びしている
しかし、笑ってしまうのは、私の心配性はどうにも払い去りがたいということ
つまらない意見ではあるが、最後に万言の書を上奏して残していこう

解印:印を解く。「印綬を解く」に同じ。「印」は官吏の身分を証明する印、「綬」は印につけてあるひも。官職に任命されると、天子から印綬を与えられたことから、官職に就くことを「印綬を佩(お)ぶ」、辞任することを「印綬を解く」という。
官途:官吏として生きる道。官吏の地位、官吏の世界。
居諸:月日、年月。《詩経・邶風・柏舟》に「日居月諸(日や月や)」とあることから。
轉:「うたた」と訓じ、「ますます」「いよいよ」の意。
舒:広がる、のびのびする。ゆったりする。
杞憂:無用の心配。取り越し苦労。昔、杞の国の人が、天が落ちてきたらどうしよう、地が崩れたらどうしよう、と心配した故事から。
獻芹:目上の人に品物を贈ったり、意見を申し上げること。「芹」は野菜のセリで、つまらぬものの意。

餘論

明治6年5月、各省からのはげしい経費予算増額の要求に抗しきれなくなった大蔵大輔の井上馨が辞職することになり、大蔵大丞として井上を支えていた渋沢も井上とともに辞職しました。そのときに詠んだ二首の詩のうちのひとつです。

詩中に出てくる「留奏」は具体的には、辞職に際して井上との連署により上奏した建議書で、政府財政基盤の確立の必要性を説いたものですが、この内容が新聞紙上に掲載されたことから物議をかもし、政府側が、太政大臣三条実美・参議大隈重信連署の反論を出す事態になりました。

官僚が個人的な意見をマスコミに発表することには賛否があると思いますが、井上・渋沢の場合、政府内・省内で力を尽くしたものの容れられず、やむを得ず、自らの地位をなげうってまで広く輿論に訴えかけようとしたものでしょうから、軽々に批判することは憚られます。