作者

原文

戊午夏到常州銚子浦

風沸東瀛萬里雲
米山鄂海自成鄰
我邦今日方多事
誰是誠忠報國人

訓読

戊午の夏、常州銚子浦に到る

風は沸く 東瀛 万里の雲
米山 鄂海 自(おのずか)ら鄰を成す
我が邦 今日 方(まさ)に事多し
誰か是れ誠忠 国に報ゆる人ならん

戊午の年の夏、常陸の国の銚子の海岸にやってきた

東に広がる海の万里のかなたの雲から風が沸き、吹いてくる
アメリカの山もロシアの海も、この太平洋を通じて隣り合っているのだ
我が国は今まさに多難のときである
心からの忠義で国に報いるのはいったい誰であろうか

戊午:安政5年(1858年)
常州:常陸国。現在の茨城県。
銚子:銚子口。利根川河口一帯を指した地名。利根川の北側は常陸国、南側は下総国(現在の千葉県)に属していた。この詩は「常州銚子浦」となっているので、利根川の北側を訪れたのであろう。
東瀛:東の大海。日本の別称としても用いるが、ここでは文字通り銚子口から東へ広がる太平洋のことであろう。
米山:アメリカ(米国)の山。
鄂海:ロシアの海。「鄂」は「鄂羅斯(オロシャ)」の略。
誠忠:心からの忠義。和製漢語。

餘論

安政5年(1858年)の夏、利根川河口から太平洋を望んで桂小五郎(木戸孝允)が詠んだ詩です。転句「今日我邦方多事」とあるとおり、この年、6月、幕府は勅許を得ることなく日米修好通商条約を締結、さらに7月、ロシア・オランダ・英国とも通商条約を締結したことにより、朝野の攘夷派の怒りが沸騰し、8月には孝明天皇から水戸藩へ「戊午の密勅」(勅許なく条約を締結した幕府を非難し、御三家と諸藩に対し公武合体をすすめて攘夷実行のための幕政改革をおこなうよう命じたもの)が下され、これを「偽勅」とみなす大老井伊直弼による攘夷派への弾圧が始まり、安政の大獄へとつながっていきます。

目の前の海が世界とつながっているというのは、現在ではありふれた感慨になっているかもしれませんが、当時としては非常に新鮮な感覚だったはずです。しかも、その海の向こうから、日本が造ることのできない巨大な蒸気船が次々やってくるわけですから、日本はいったいどうすればいいのだろう、という危機感は自然と沸き上がってきたでしょう。結句「心からの忠義で国に報いるのは誰だろうか」という言葉の裏には、当然、「自分こそ、その人である」という自負がこめられています。