大久保利通の漢詩 登二荒山(二荒山に登る)

作者

原文

登二荒山

行盡岩嶢幾數仞
人蹤斷處路難分
前山晴去後山雨
千態萬容脚底雲

訓読

二荒山に登る

行き尽くす 岩の嶢(たか)きこと幾数仞なるを
人蹤 断える処 路 分かち難し
前山 晴れ去って 後山 雨ふる
千態 万容 脚底の雲

日光山に登る

どれほどか測りがたいほどに高くそびえる岩々を行き尽くす
人の足跡が途切れるあたりでは、どこが道でどこが道でないのか見分けがつかない
見れば前方の山では晴れ上がっているのに、後ろの山では雨が降っていて
足もとの雲は幾千幾万もの様々な姿かたちを見せている

二荒山:栃木県北西部にある男体山(2,486m)の古名「ふたらさん」。伝承によれば弘法大使空海が訪れた際に二荒山を「にこうさん」と読んで「日光山」の字を当てたという。伝承の真偽は定かではないが、鎌倉時代には「二荒」と「日光」の2種類の表記が併用されていたことがわかっている。また、男体山、女峰山(2,464m)、太郎山(2,368m)の三山を中心とする山岳群の総称として「日光山」「日光連山」と呼ぶこともある。
:山が高くそびえるさま。
:深さ・高さを測る単位。周代では八尺(約1.8m)。
人蹤:人の足跡
:見分ける
:「前山晴去」と句中対になっているので、ここでは「雨ふる」という動詞である
千態萬容:さまざまな姿かたち

餘論

詩題を「明治九年五月二十日先發日光山偶成」としているものもあります。この年、大久保は明治天皇の東北巡幸の先発として5月に東北地方巡視に出発しており、その途中で日光山に立ち寄ったもののようです。二千メートル級の頂が連なる山中の情景が素直な筆致でえがかれていると思います。