夏目漱石の漢詩 興津之景淸秀穏雅保田之勝険奇巉峭嘗試作二絶較之 其一( 興津の景は清秀穏雅、保田の勝は険奇巉峭、嘗試(こころ)みに二絶を作りて之を較ぶ 其の一)

作者

原文

興津之景淸秀穏雅保田之勝険奇巉峭嘗試作二絶較之 其一

風穏波平七月天
韶光入夏自悠然
出雲帆影白千點
總在水天髣髴邊

訓読

興津の景は清秀穏雅、保田の勝は険奇巉峭、嘗試(こころ)みに二絶を作りて之を較ぶ 其の一

風 穏やかに 波 平らかなり 七月の天
韶光 夏に入りて自(おのずか)ら悠然たり
雲を出づる帆影 白千点
総て水天 髣髴の辺に在り

興津の景色は清らかでうるわしく穏やかで優雅だが、保田の景色は険しく奇抜で高く切り立っている。ためしに二首の絶句を作って両者を比べてみる その一(興津)

風も海の波も穏やかに七月の空が広がっている
はなやかだった春の景色もすっかり夏になって自然とゆったりしている
遠い雲から出てくるたくさんの白い点は船の帆で
どれも海と空が接して境目が見分けられないあたりに浮かんでいるのだ

興津(おきつ):現在の静岡市清水区興津地区(当時は静岡県庵原郡興津町)。古くから風光明媚の地として知られ、江戸時代は東海道の宿場町がおかれた。明治以降は別荘地としても知られた。漱石は明治22年(1889年)の7月23日から兄の和三郎とともに興津に赴き、8月2日に帰京している。
保田(ほた):現在の千葉県安房郡鋸南町保田(当時は千葉県安房郡保田町)。興津から帰京後まもない8月7日、今度は第一高等学校の同級生と一緒に房総半島への旅に出て、最初に保田を訪れた。
:すぐれた景色
険奇:けわしく奇抜。
巉峭:けわしく切り立っていること。
嘗試:こころみる。こころみに。
韶光:春のはなやかな景色。春のはなやいだ光。
悠然:ゆったりしているさま
白千点:無数の白い点
水天:海と空
髣髴:よく似ているさま、ぼんやり見えるさま。ここでは海と空の境目がぼんやりしているさま。この句は頼山陽《泊天草洋》の「雲耶山耶呉耶越 水天髣髴靑一髪」をふまえている。

餘論

明治22年(1889年)の夏休み、第一高等学校の学生だった漱石は、同級生4人と一緒に、8月7~31日の3週間あまり、房総半島を旅行します。9月にはそのときのことを「木屑録」という漢文の紀行文にまとめ、松山で静養中の正岡子規に送っています。「木屑録」の文中には多くの漢詩が挿入されていますが、最初に出てくるのがこの詩です。詩題は示されていませんが、「木屑録」で詩の前の文章で
興津之景、淸秀穏雅、有君子之風。保田之勝、険奇巉峭、酷似奸雄。君子無奇特驚人者、故婦女可狎而近。奸雄変幻不測、非卓然不群者、不能喜其怪奇峭曲之態也。嘗試作二絶較之。
興津の景は清秀穏雅にして、君子の風有り。保田の勝は険奇巉峭にして、酷(はなは)だ奸雄に似たり。君子には奇特人を驚かす者無く、故に婦女も狎れて近づくべし。奸雄の変幻不測は、卓然群れざる者に非ざれば、其の怪奇峭曲の態を喜ぶこと能はざるなり。嘗試(こころ)みに二絶を作りて之を較ぶ
と述べていることから、仮に上記の詩題をつけておきました。同級生との房総旅行の直前に兄と訪れた、静岡県の興津を思い浮かべて、房総半島の保田と比較し、それぞれについて詩を詠んでみよう、というわけです。今回とりあげるのは、興津を詠んだほうの詩で、温暖な気候とおだやかな風土が強調されています。結句の四字目「天」が「孤平(七言の近体詩で一句の四字目が平声のとき、その前後が仄声であること。禁忌とされる)」になっていますが、ここは頼山陽の「水天髣髴靑一髪」の引用なので、前後の字をいじるのが難しく、漱石も孤平のままとしたのでしょう。しかも、この「天」の字は、起句の韻字「天」と重複しており、「同字重出(一首の中で同じ字を複数回使用すること。レトリックとして意図的に使用する場合を除いて近体詩では禁忌)」「冒韻(韻字と同じ韻に属する字を押韻部分以外で用いること。近体詩では禁忌だが、日本人の詩ではしばしば見られる)」でもありますが、これらの禁忌をすべて解消しようと思えば、根本的に詩をつくり直すしかないため、目をつむったと思われます。