乃木希典の漢詩 凱旋

作者


原文

凱旋

皇師百萬征強虜
野戰攻城屍作山
愧我何顏看父老
凱歌今日幾人還

訓読

凱旋

皇師百万 強虜を征し
野戦 攻城 屍 山と作(な)る
愧づ 我 何の顏あってか父老を看ん
凱歌 今日 幾人か還る

凱旋

わが皇国の軍勢百万は手強い敵を征伐したが
野戦や城攻めで多大な犠牲を払い死体の山を築いてしまった
恥ずかしく思うことは、戦死した兵士の年老いた親にどんな顔をして会えばいいのかということだ
凱旋の歌声が響く今日、何人の兵士が帰って来れただろうか

皇師:天皇の軍隊
強虜:手強い敵。「虜」は野蛮人、また、敵を罵って呼ぶ言葉。
野戰:平地での戦い。また、攻城戦や要塞戦以外の陸戦全般。乃木将軍率いる第三軍は旅順攻略後、奉天会戦にも参加して奮戦した。
攻城:城攻めの戦い。具体的には旅順要塞の攻囲戦。
愧我何顏看父老:漢の劉邦に敗れた楚の項羽が、烏江の亭長から、「本拠地の江東に戻って王となればよい」とすすめられたが、「私は江東の子弟八千人を戦死させた。たとえ彼らの父兄が私をあわれんで王にしてくれたとしても、私はいったい何の面目があって彼らに会うことができようか。彼らが何も言わなくても、私としては心に恥じずにはいられない」と断った際の言葉に基づく。もともとの項羽の言葉は「縦江東父兄憐而王我、我何面目見之」であるが、平仄や字数の都合で、「面目」を「顔」に、「父兄」を「父老」に、「見」を「看」に改めてこの句を作っている。このうち、特に問題なのは「看」である。「見」と「看」はともに「みる」と読み、その意味では互いに代用することが可能だが、項羽の言葉の「見」は「まみゆ」であって、「会う」の意味である。「看」には「会う」の意味はないため、ここでは本来「見」の代用として用いることはできない。「見父老」では仄三連の禁忌を犯すことになるため、苦肉の策として「看」にしたものであろうが、詩としてはやはり適当ではない。

餘論

日露の役の戦勝後に乃木将軍が詠んだ詩で、「乃木三絶」のひとつに数えられています。明治天皇への復命の際、「自刃して多数の将兵を死なせた罪を償いたい」と奏上したという乃木将軍の自責の念を痛いほどに感じることのできる詩です。注で述べているとおり、措辞に若干の問題があるにも関わらず、名詩として伝えられているのは、その偽りのない真っすぐな思いによるものでしょう。

注にも記した通り、転句はこの詩の瑕瑾というべき部分ですが、どのようにすればこの問題を解消できるでしょうか。僕などが添削するのは全くもって畏れ多いことですが、案としては、「愧づ」は省略し(「愧」の目的語が疑問文というのも違和感があります)、語順を入れ替えて、「我見父兄何面目(我 父兄に見ゆるに何の面目あらんや ●●●〇〇●●)」とする方法があるのではないかと思いますが、どうでしょうか。