武市半平太の漢詩(3) 偶成
作者
原文
偶成
夜横空枕伴囊螢
昼向幽窗閲聖經
想得天祥安樂國
捨生取義姓名馨
訓読
偶成
夜は空枕に横たはりて嚢蛍を伴なひ
昼は幽窓に向かひて聖経を閲す
想ひ得たり 天祥の安楽国
生を捨て義を取りて姓名馨(かを)る
訳
たまたま出来た詩
夜はひとりきりの寂しい枕をして横になり、袋に入れた螢の光で本を読み
昼は牢獄の薄暗い窓のかすかな明かりに向かって儒学の経書を読む
こんな暮らしの中で思い浮かぶのは、かの文天祥が牢獄の中を極楽と呼んだこと
命を捨てて正義を貫いたことでその名は後世まで清らかに香っているのだ
注
空枕:ひとりきりの寂しい枕
囊螢:袋に入れたホタル。晋の車胤が若いころ貧しくて油が買えず、蛍を袋に入れて灯火の代わりにして勉強した故事に基づくので、その明かりで本を読むということを暗示している。《晋書・車胤傳》「家貧不常得油。夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。(家、貧しくして常には油を得ず。夏月になれば則ち練囊に数十の蛍火を盛り、以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。)」
聖經:聖人の著した書。儒学の経典。
天祥:文天祥(1236~1283年)。中国南宋末期の政治家・軍人。蒙古(元)に攻め込まれて滅亡寸前の宋王朝のために最後まで忠義を尽くした。1278年に元軍に捕らえられて元の都・大都(今の北京)に送られたのちは、その人格と才能を惜しんだフビライから自らに仕えるよう繰り返し求められたが、これを断固として拒否し、滅亡した宋への忠義を貫いて死を望み続けたので、フビライもついに諦めて死刑に処した。以後、漢字文化圏において忠臣の鑑として尊敬される存在となり、彼が獄中で詠んだ「正氣歌」は日本でも幕末の志士たちに愛唱された。
安樂國:安らかで楽しい国。極楽。文天祥は「正氣歌」の中で、死刑を望んでもかなえられず、病すら自分を避けていくと嘆いた上で、「嗟哉沮洳場 爲我安樂國(嗟かはしいかな沮洳の場 我が安楽国と為る=ああ、なんということか、このぬかるんだ獄中すら私にとっては極楽となってしまう)」と詠んだ。
馨:かおる。香りがたちこめる。よい評判が広まる。
餘論
武市半平太の獄中の詩です。蛍が詩に出てきているので、投獄の翌年、元治元年(1864年)の夏の作でしょう。詩の後半、文天祥のことを詠んでいるのは、当然、自分を文天祥になぞらえているのであり、「自分こそ真の忠臣、正義は自分にある」という自負を示しています。
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