大塩平八郎の漢詩 題不知(題知らず)

作者

原文

題不知

新衣着得祝新年
羹餠味濃易下咽
忽思域中多菜色
一身溫飽愧于天

訓読

題知らず

新衣 着し得て新年を祝ふ
羹餅 味濃やかにして 咽を下り易し
忽ち思ふ 域中に菜色多きを
一身の温飽 天に愧づ

題不明

新調した服で新年を祝うことができ
雑煮の味付けはしっかりしていていくらでものどを通る
しかし、すぐに思い浮かぶのは、飢えて青い顔をした民が天下にあふれていることだ
それを思うにつけ、この身ひとり暖かい服を着て腹いっぱい食事できることがかたじけなく、天に対して恥ずかしく思うばかりだ

羹餠:「羹」はあつもの、吸い物、スープ。「餠」は、本来、小麦粉をこねて成形し、焼いたり蒸したりした食品のことだが、日本では「もち」を指す。「羹餠」は吸い物に餅が入ったもの、つまり、雑煮のこと。
域中:世の中。天下。《老子・二十五章》「故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一。」
菜色:青菜の色。転じて、栄養失調で顔色が青いこと。血色の悪いこと。天保4(1833)年から始まった「天保の大飢饉」は天保7(1836)年から天保8(1837)年にかけて最大化し、全国各地で多数の餓死者を出した。
溫飽:あたたかな衣服を着、十分に食事をとる。生活に不自由しないこと。起句が「溫」、承句が「飽」をあらわしている。

餘論

お正月ということで、大塩平八郎のお正月の詩をとりあげます。お正月くらいは大塩先生もくつろいでるのかと思いきや、お雑煮を食べるにつけても天下のこと、民のことを憂えています。「知行合一」を説く陽明学者だけに、飢えている民を救えない自分がのんきに雑煮をすすっているということが自分で許せず、罪悪感にさいなまれていたのでしょう。正確な制作年がわかりませんが、この詩は「洗心洞詩文」の詩の部の最後に置かれています。この詩の数首前に「天保丙申(=天保7年)秋登甲山」という詩があり、天保8年2月には大塩は決起しますので、この詩は天保8年の正月に作られたのではないかと思います。それを知った上で、詩を読み直してみると、大塩の追いつめられた心情が胸を打ちます。
なお、天保8年の干支は「丁酉」、つまり、今年平成29年と同じです。格差拡大が問題となっている昨今ですが、大塩先生が憂いなく雑煮を食べられるような一年になることを祈ります。