松平春嶽の漢詩 丁卯元旦

作者

原文

丁卯元旦

梅花香裏歳華新
手把屠蘇眉暫伸
双鬢幸然猶未白
今朝稱老最初春

訓読

丁卯元旦

梅花香裏 歳華 新たなり
手に屠蘇を把れば眉 暫らく伸ぶ
双鬢 幸然 猶ほ未だ白からざるも
今朝 老を称す 最初の春

丁卯の年(慶應3年)の元旦

梅の花の香りのなかで年があらたまり
お屠蘇を手にとれば、束の間、心配事を忘れ、しかめた眉もしばらくゆるむ
両側の耳ぎわの髪の毛は幸いにもまだ白くはなっていないが、
今朝で私も四十、初老となり、老人を名乗る最初の新春となったのだ

丁卯:ひのとのう。慶應3年(1867年)。干支による年の表記については「干支について」を参照。
歳華:としつき。光陰。
眉暫伸:しかめた眉がしばらくゆるむ。束の間、心配事を忘れる
双鬢:「鬢」は耳ぎわの髪の毛。多くの場合、他の部分にさきがけて白髪が生え始める。
幸然:さいわいなことに。
稱老最初春:老人を名乗る最初の新春である。数え年で40歳となり、「初老」となったことをいう。「初老」は本来、数え年40歳の異称である。

餘論

今年は大政奉還がおこなわれた慶應3年(1867年)から150年です。そこで、四賢侯の一人として幕末の政局で大きな役割を果たした松平春嶽が慶應3年の元旦に作った詩を紹介します。

この詩のつくられた前年には第2次長州征伐が失敗して幕府の権威が失墜、年末には孝明天皇が崩御し、不穏な空気がただよう中で迎えた新年でした。承句「眉暫伸」はこのような背景によるものです。大政奉還論自体は、春嶽のブレーンであった横井小楠も早くから主張していたことですが、この年に実現することになるとは、春嶽も予想してはいなかったでしょう。