作者


原文

須磨禪昌寺看楓 其一

淸時不用問桃源
攜酒來尋紅葉村
漫擬風流狂杜牧
靑尊相對到黄昏

訓読

須磨禅昌寺にて楓を看る 其の一

清時 用ひず 桃源を問ふを
酒を携えて来たり尋ぬ 紅葉の村
漫りに擬す 風流の狂杜牧
青尊 相ひ対して 黄昏に到る

神戸須磨の禅昌寺でカエデを見る

今は暮らしやすい太平の時代なので桃の花咲く桃源郷をたずねる必要がない
かわりに酒を手に紅葉の美しい村をたずねてきたのだ
風流才子として名をはせたあの杜牧を、むだに真似ようとする私は
盃にずっと向き合って、たそがれまで酒を飲み続けている

禪昌寺:神戸市須磨区にある臨済宗南禅寺派の寺院。後光厳天皇の勅命により、延文年間(1356~1361)に月菴宗光によって開山された。
淸時:すぐれた天子のもとでよく治まっている時代。泰平の時代。
桃源:桃源郷。陶淵明の『桃花源記』に描かれた仙境。秦の始皇帝の時代に暴政を避けた人々が外界と隔絶した別世界に築いた理想郷。
漫:みだりに。むだに。あてもなく。やたらに。
狂杜牧:杜牧は晩唐の詩人(803~853)。「十年一たび覚む揚州の夢 贏(か)ち得たり青楼薄倖の名」と歌う七言絶句『遣懐』が人口に膾炙して、妓楼に遊んだ風流才子のイメージが強いことから「狂杜牧」と呼ばれる。 《遣懐》「落魄江南攜酒行 楚腰繊細掌中輕 十年一覺揚州夢 贏得青楼薄倖名」
靑尊:酒の入った盃。「尊」は「樽」に通じ、酒樽、酒器を指す。「靑」は酒の別名「綠蟻」から。 唐・陳翊《宴柏臺》「靑尊照深夕 綠綺映芳春」

餘論

明治17年(1884年)の秋、神戸須磨の禅昌寺で紅葉を楽しんだ伊藤博文が詠んだ詩二首のうちの一首です。

暴政に苦しんだ秦の民と違い、聖天子の御代の今は桃源郷を求めて訪ねる必要がないので、花ではなく紅葉を訪ねてきたのだ、という機知に富んだ導入はさすがで、専業の詩人に伍する力量を発揮しています。

詩中の「淸時」という言葉とは裏腹に、実際には、この年の12月には朝鮮で甲申政変を原因として日清両軍が衝突する事態が発生し、翌年4月に天津条約が締結されるまで両軍がにらみ合う状態が続くなど、日本を取り巻く外交・軍事環境は緊迫の度を増していくことになります。伊藤自身、全権代表として清国との交渉の任に当たり、天津条約を締結することになりますが(自淸國歸朝有作(伊藤博文) / 清国より帰朝して作有り)、酒を片手に紅葉を楽しみながらこの詩を詠んでいた伊藤は、それを予想していたでしょうか。