作者


原文

遙拜二親歸思頗凄然援筆賦一絶

遙憶故園啣壽杯
嬉嬉鳥雀上庭梅
東風今曉溫如此
知是從爺孃面來

訓読

遥かに二親を拝し帰思頗る凄然、筆を援り一絶を賦す

遥かに故園を憶ひて寿杯を啣めば
嬉嬉たる鳥雀 庭梅に上る
東風 今暁 温かなること此くの如し
知る是れ 爺嬢の面より来たるを

遠く離れた両親を拝んで故郷に帰りたい思いがすさまじく、筆をとって絶句を一首詠む

遥か遠く故郷を思いながら正月の屠蘇を口に含めば
うれしそうな小鳥たちが庭の梅にやってくる
今朝の東風がこんなにもあたたかいのは
きっと父や母の顔から吹いてきているからだろう

援:引き上げる、引き寄せる
壽杯:祝いのさかずき。ここでは新年の祝い酒、屠蘇。
啣:「銜」に同じ。ふくむ。口にくわえる。
鳥雀:小鳥。
東風:春風。安政7年元旦(1860年1月23日)は立春の前だが、現在でも正月を「新春」というように、立春前でも年が明ければ「春」扱いされる。
知是~:~であることを知る、わかる
爺孃:父と母

餘論

安政7年(3月に万延に改元 1860年)の正月、長崎に出張中の岩崎弥太郎が、土佐の両親を思って詠んだ詩です。

詩題にある「帰思頗る凄然」というのは大げさではなかったのか、この後、藩の参政で自分をとりたててくれた吉田東洋に向けて「敏(弥太郎の諱)のごとき自らその人にあらざるを知るなり(私のようなものは適任でないことを自覚しました)」という手紙を送り解任を願い出ましたが、返事がなく、4月になってついに無断で長崎を去り、土佐に帰ってしまいました。無断で職を投げ出したのですから、当然問題となり、吉田東洋の引き立てで得た下横目の役を免ぜられることになります。

長崎時代の弥太郎は丸山の花街で豪遊して藩から預かった資金を使い果たしてしまったことが知られていますが、遊ぶ金がなくなったから帰国を願い出たのか、望郷の思いをまぎらわせるために遊蕩にふけらざるを得なかったのか、どちらなのかはわかりません。ただ、母・美和はこの免職に落胆したことを手記に記しており、弥太郎としては忸怩たる思いだったでしょう。土佐に帰っても、この詩を母に見せることはできなかっただろうと思います。