作者


原文

寶光院小祥志感

靈壇無物慰悵然
烏兎回頭已一年
記得曖依村荘夕
梧桐葉落雨如烟

訓読

宝光院小祥 感を志(しる)す

霊壇 物として悵然を慰むる無し
烏兎 頭を回らせば 已に一年
記得す 曖依村荘の夕
梧桐の葉 落ちて 雨 烟の如きを

千代の一周忌に気持ちを書き記す

祭壇には物が並んでいるが私のうらみ嘆く気持ちを慰めるものはありはしない
ふりかえってみればすでに一年の月日が過ぎてしまった
思い出されるのは、曖依村荘で葬儀がおこなわれた日の夕方
アオギリの葉がひらひらと落ち、煙のような雨が降っていたことだ

寶光院:栄一の先妻・千代。法名は宝光院貞容妙珠大姉。明治15(1882)年7月14日、コレラで亡くなった。10月22日に本葬がおこなわれた。
小祥:没後一年の祭祀。一周忌。三回忌を大祥という。
志:しるす。書き記す。
悵然:いたみうらみ、嘆くさま。
烏兎:月日。太陽には三本足のカラスが、月にはウサギが住んでいるという伝説から。
回頭:ふりかえる。空間的にも時間的にも用いる。
記得:覚えている、思い出すことができる。「記し得たり」と訓んでもよい。
曖依村荘:栄一が飛鳥山(東京都北区西ヶ原)に明治11(1878)年に建設した別荘。1901(明治34)年以降は本邸として用いられた。明治12(1879)年には米国前大統領グラント将軍を招くなど、国内外の要人を接待する迎賓館としての役割も担っていた。昭和20(1945)年4月の空襲で主要部分は焼失し、現在は「旧渋沢庭園」として飛鳥山公園の一部となっている。焼失を免れた「晩香廬」「青淵文庫」は国指定重要文化財。
梧桐:アオギリ。「梧桐一葉落ちて天下尽く秋を知る」という言葉があるように、その落葉は秋の象徴的な光景とされた。 白居易《長恨歌》「春風桃李花開夜 秋雨梧桐葉落時」

餘論

妻の千代を亡くした渋沢栄一が、一周忌を迎えて詠んだ詩です。千代が亡くなったのは夏の7月ですが、結句の光景は明らかに秋なので、転結で述べられているのは10月に執り行われた本葬の日の情景のことと思われます。