作者


原文

天長節

閃閃紅旗映故城
皇威遠與旭光明
逐臣獄裏逢嘉節
又賦蕪辭答太平

訓読

天長節

閃閃たる紅旗 故城に映ず
皇威 遠く旭光とともに明らかなり
逐臣 獄裏 嘉節に逢ひ
又た蕪辞を賦して太平に答ふ

天長節

風にひらめく日の丸の旗が古城に照り映えている
みかどの威光は都から遠いここまでも届き、朝日とともに明るく輝いている
罪を得て追放された私は獄中ではあるが、このおめでたい祝日を迎え
拙い言葉ながら詩を詠んで太平の御世に報いたいと思う

天長節:天皇の誕生日を祝う祝日。明治時代の天長節は11月3日。
閃閃:動いてひらめくさま。
紅旗:ここでは日の丸のこと。
故城:古城。山形刑務所(当時の山形監獄)の南に「伊達城」という地名がある。現在は住宅地となって名残は何もないが、かつてここに「漆山伊達城」という伊達氏の城があったという。伊達氏の仙台転封後は廃墟になったらしいが、明治の頃はなんらかの遺構は残っていたのであろう。
逐臣:罪を得て追放された臣。
嘉節:めでたい日。祝いの日。吉日。
蕪辭:粗末なことば。自分のことばを謙遜していう。

餘論

立志社の獄で有罪となった陸奥は、明治11年9月から山形監獄に収監されます(→「天長節(陸奥宗光・明治11年)」を参照)。

この詩は収監から一年余りとなる明治12年の天長節に詠まれた詩です。前年に引き続いて天長節を詩に詠んだ陸奥ですが、前年に詠まれた詩と比べるとかなり趣が異なっています。

収監から2ヶ月程度しか経っていなかった明治11年の詩では、その前年の天長節で宮中の祝賀の宴に列席していたことを思い起こして悲嘆していましたが、今回の詩は、収監から1年以上経過していることもあってか、悲しみや怨みからは離れ、淡々と詠まれているように感じます。獄中の身であっても太平の御世を祝う詩を詠もう、という内容からは、「獄中でも国を思う心に変わりはない」という自負を感じます。