作者


原文

天長節

邊樹霜丹秋可憐
逐臣空望帝畿天
去年今日金鑾殿
恭侍嘉筵陪御前

訓読

天長節

辺樹の霜丹 秋 憐れむべし
逐臣 空しく望む 帝畿の天
去年今日 金鑾殿
恭しんで嘉筵に侍して御前に陪す

天長節

辺境の木々の紅葉を見るにつけ、秋に心を動かされる
罪により追放された私は空しく都の方角の空を眺めるばかりだ
思えば去年の今日は宮中で
畏れ多くも祝宴に参加して帝の御前にお仕えしていたのだなあ

天長節:天皇の誕生日を祝う祝日。明治時代の天長節は11月3日。
霜丹:霜紅に同じ。霜を経て赤くなること。紅葉すること。
逐臣:罪を得て追放された臣。
帝畿:帝都のある地域。畿内。
金鑾殿:唐代の宮殿の名前。宮中の意。

餘論

立志社の獄で有罪となった陸奥は、明治11年(1878年)9月、山形監獄に収監され、以後、5年にわたる獄中生活が始まります。この詩は同年11月3日の天長節に詠まれた詩です。この詩が詠まれた翌年にも陸奥は同じ「天長節」の題で詩を詠んでいます(→「天長節(陸奥宗光・明治12年」)。

明治11年6月に立志社事件により罷免されるまで、陸奥は元老院幹事の地位にありました。政府高官から罪人へ、まさに天国から地獄というべき転落であり、それを実感させたのが天長節だったのです。なにしろ去年の天長節には寵臣として華やかな祝賀の宴席に列していたのに、今は宮中どころか、東京からも遠く離れた山形の監獄内で天長節を迎えているのですから、いやがうえにも自らの転落ぶりを自覚させられたことでしょう。

転句の「去年今日金鑾殿」は明らかに、菅原道真の「去年今夜 清涼に侍す」(『九月十日』)を意識したものです。ということは、自らを無実の罪で追放された道真になぞらえていると見ることもでき、「自分は間違ってはいない」という自負がこめられているのかもしれません。