伊藤博文の漢詩(11) 須磨禪昌寺看楓 其二(須磨禅昌寺にて楓を看る 其の二)
作者
原文
須磨禪昌寺看楓 其二
聞説老僧移錫處
延文遺跡尚存留
滿山紅葉無人掃
風色蕭蕭古寺秋
訓読
須磨禅昌寺にて楓を看る 其の二
聞くならく 老僧 錫を移す処と
延文の遺跡 尚ほ存留す
満山の紅葉 人の掃く無し
風色 蕭蕭たり 古寺の秋
訳
神戸須磨の禅昌寺でカエデを見る
聞くところでは、ここは名僧の月菴宗光が移ってきて開いた寺だとか
延文年間の遺跡が今なお姿をとどめているのだ
山いっぱいの紅葉は散ってもそれを掃く人はない
ものさびしい景色がひろがる古寺の秋である
注
禪昌寺:「須磨禪昌寺看楓 其一」を参照。
聞説:聞くところによれば。
老僧:禅昌寺の開祖・月菴宗光(1326~1389)。臨済宗大應派の僧侶。美濃国に生まれ、大圓寺(岐阜県恵那市)で峰翁祖一に学んだ。その後京都で夢窓疎石などにも学んだのち、延文年間(1356~1361)に須磨に移って禅昌寺を開山した。その後も但馬国の雲頂山大明寺、筑前国の承福寺などを開山した。没後、後小松天皇から正続大祖禅師の諡を賜った。
錫:僧侶や道士が用いる杖。錫杖。
延文:南北朝時代、北朝の後光厳天皇の元号。西暦(ユリウス暦)1356年4月29日~1361年5月4日。
風色:けしき。ながめ。
蕭蕭:ものさびしいさま。
餘論
明治17年、伊藤博文が禅昌寺の紅葉を詠んだ詩の二首目です。一首目とは雰囲気が全く異ななり、うって変わって酒の香りの全くしない、お寺にふさわしい詩になっています。というより、お寺で黄昏まで酒を飲み続ける一首目のほうが不謹慎が過ぎるのかもしれません。
伊藤博文を含め、幕末の尊攘の志士たちは楠正成を尊敬し、南朝を正統とする考えを信奉していたはずですが、詩中では北朝の年号の延文を用いています。これはおそらく、開山の縁起のようなものに「延文」と書かれているのをそのまま使ったからでしょう。南朝方の元号に変換すれば「正平」になりますが、正平年間は1346年から1370年までと長く、5年ほどしかない延文年間を言い換えるには適さないという意識もあったのでしょうか。
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