作者

大正天皇

原文

臨議會有感

外交内治重経綸
國運興隆逐歳新
頼有臣民能議政
和衷協贊竭精神

訓読

議会に臨んで感有り

外交 内治 経綸を重んず
国運の興隆 歳を逐ひて新たなり
頼(さいわひ)に臣民の能く政を議する有り
和衷 協賛して精神を竭くす

議会の開会に臨んでの思い

外交も内政もしかるべき方針方策が重要だ
わが国の国運が興隆するさまは年々新たになっている
さいわいにも我が国民には政治を議論する能力があり
気持ちをひとつに協力して私を助け、心を尽くしてくれている

経綸:制度や計画、方針を立てて天下を治めること。また、その制度や計画。
頼:さいわいにも、
和衷:心を合わせひとつにする
協贊:協力して(天子を)助ける。明治憲法における帝国議会は「天皇の立法権行使に対する協賛機関」という位置づけであった。

餘論

大正4年(1915年)12月1日、第37回帝国議会の開会に臨んでの聖衷を詠まれた大正天皇の御製詩です。このときの勅語に「卿等克ク朕カ意ヲ体シ和衷協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ望ム」とあり、「和衷協賛」の語が共通しています。

当時の情勢は、前年に、欧州で第一次世界大戦が勃発、国内ではシーメンス事件を受けて第一次山本権兵衛内閣が総辞職、後継選びが難航した末、すでに政界を引退していた大隈重信が復帰し、立憲同志会を議会少数与党とする第二次大隈内閣が成立しました。大正4年3月の総選挙で立憲同志会は大勝しますが、選挙後に大浦内相による大規模な選挙干渉が明るみになって大隈は7月にいったん辞表を提出、大正天皇は辞任を認めず、小規模な改造をおこなって大隈内閣は続投となり、この国会の開会を迎えていました。輿論の反発は強く、翌大正5年1月には大隈首相の暗殺未遂事件まで起こる状況でした。

この御製詩の内容だけ見ると、当時の議会はすばらしく、大正天皇から協賛機関として厚く信頼されていたかのように見えますが、実態は必ずしもこの御製詩を贈られるにふさわしいものではなかったといえます。あるいは、結句は「精神を竭くす」という現在形ではなく、「精神を竭くせ」という激励の命令形で訓読するべきなのかもしれません。