高杉晋作の漢詩 鈴鹿山

作者

原文

鈴鹿山

喬木陰森暗古關
英雄挫賊是斯間
敝衣孤劍客中老
秋雨重過鈴鹿山

訓読

鈴鹿山

喬木 陰森として古関暗し
英雄 賊を挫くは是れ斯の間
敝衣 孤剣 客中に老ゆ
秋雨 重ねて過ぐ 鈴鹿山

鈴鹿山

いにしえの鈴鹿の関の跡は高い木々がおいしげって薄暗くものさびしい
かつて英雄坂上田村麻呂が鬼を退治したというのはまさにこのあたりであろう
それにひきかえ、この私はボロボロにやぶれた服に剣を1本ぶらさげただけの粗末なみなり、旅暮らしのなかで年をとっていくばかり
秋雨の降る中で、再び鈴鹿山をこえてゆくのだ

喬木:高くそびえる木
陰森:木々がおいしげって暗い
古關:古い関所。鈴鹿の関。
英雄:坂上田村麻呂のこと。鈴鹿山に住む大嶽丸という鬼(山賊とも)を退治したという伝説が残る。
敝衣:やぶれた衣服
客中:旅の生活の中

餘論

制作時期がはっきりしませんが、内容からして、安政6年(1859年)の秋、藩命により江戸遊学から帰藩する途中に鈴鹿を通った際の作かと思われます。結句に「重ねて過ぐ」とあるのは、江戸へ行く際に一度通っているからでしょう。詩は全体に暗い雰囲気で、後半に強い失意が感じられます。江戸遊学中には師の吉田松陰が安政の大獄でとらえられて伝馬町の獄に投獄されており、高杉は獄中の師を世話していましたが、高杉が帰藩のため江戸を離れた後に松陰は処刑されてしまいました。この詩にただよう暗さには、そのような背景があるのではないでしょうか。