伊藤博文の漢詩 丁卯初夏與石川等諸兄話時事席上即賦一 絶以呈(丁卯初夏、石川等諸兄と時事を話し、席上、即ち一 絶を賦し以て呈す)

作者

伊藤博文

原文

丁卯初夏與石川等諸兄話時事席上即賦一 絶以呈

那翁元是起孤島
厭伏歐羅建偉功
此間男子豈空老
機決須揮一世雄

訓読

丁卯初夏、石川等諸兄と時事を話し、席上、即ち一 絶を賦し以て呈す

那翁 元と是れ 孤島より起こり
欧羅を圧伏して偉功を建つ
此間の男子 豈に空しく老いんや
機決すれば須く揮ふべし 一世の雄

丁卯の歳(慶應3年【1867年】)の初夏、石川(中岡慎太郎)など諸先輩と時事を語り合い、その席上、即興で一首の絶句を詠んで、皆に進呈した

あのナポレオンはもともと小さな孤島から身を起こし
やがてヨーロッパを制圧して偉大な功績をうちたてた
それを思えば、今のこの時代を生きる男子たるもの、どうしてなすこともなく年老いていくことなどできようか
時機が来れば、ぜひとも一世一代の雄々しさを発揮すべきなのだ

石川:中岡慎太郎のこと。当時、石川清之助という変名を用いていた
諸兄:中岡のほか、土佐藩出身の田中光顕も同席していた
那翁:ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)。1769年~1821年。フランスの軍人、政治家。フランス領コルシカ島に生まれ、パリの陸軍士官学校に学んだあと、軍人となり、フランス革命後の混乱の中で戦績を重ねて頭角をあらわした。1799年11月、クーデターにより政権を奪取し、1804年5月、国民投票を経てフランス皇帝に即位した。最盛期には、英国とロシアを除く欧州の大部分を勢力下に置いたが、1812年のロシア遠征に大敗して数十万の陸軍を失って衰勢となり、1814年4月、パリが陥落して皇帝を退位させられエルバ島へ流された。1815年2月、エルバ島を脱出し、3月にはパリへ帰還して皇帝に復位したが、6月にはワーテルローの戦いに敗れて再び退位し、南大西洋のセントヘレナ島に幽閉され、1821年、島で亡くなった。
厭伏:おさえつけて従わせる
歐羅:ヨーロッパ。歐羅巴の略。
此間:このごろ、この時代
:「すべからく~すべし」と訓じ、「ぜひとも~すべきだ」「~する必要がある」という意味。
:発揮する

餘論

慶應3年4月15日の作。中岡慎太郎の日記によれば、13日に伊藤と田中光顕が薩摩藩士吉田清右衛門とともに京都に着き、15日に中岡は伊藤と河東(鴨川の東、いわゆる鴨東の花街)に遊んだとあります。その酒席で時事を談じているうちに気分が昂揚してこの詩を詠んだのでしょう。ナポレオンの事績については、それほど時を経ずに日本にも伝えられており、頼山陽や佐久間象山などもナポレオンの生涯を詠んだ詩を作っています。自らの才覚ひとつで一介の砲兵士官から皇帝までのぼりつめ、欧州の大部分を征服したナポレオンは、伊藤ら幕末の志士たちにとって功名心を刺激する存在だったと思われます。