渋沢栄一の漢詩 平泉懷古 其一

作者


原文

平泉懷古 其一

山勢猶看扼朔方
追懷往事客愁長
判官館接中尊寺
無復人祠吉次郷

訓読

平泉懷古 其の一

山勢 猶ほ看る 朔方を扼するを
往事を追懐すれば 客愁 長し
判官館は接す 中尊寺
復た人の吉次の郷を祠る無し

平泉懐古

北方の要衝をおさえる山のありさまは今なお見ることができるが
栄華を誇った奥州藤原氏が滅んだ当時のことを懐古すれば旅の愁いは長く消えることがない
義経が住んでいたという判官館は中尊寺の近くに残っているが
あの金売り吉次をまつる人はもはや見当たらない

平泉:平安末期に奥州藤原氏の本拠地として栄えた。現在の岩手県西磐井郡平泉町の中心部。文治5年(1189年)源頼朝によって滅ぼされた奥州藤原氏の栄華を象徴する地。
扼:おさえる
朔方:北方
往事:往時のこと。昔のこと。
判官:源義経。詳しくは「詣源判官祠(源判官の祠に詣づ)」の注を参照。
判官館:義経最後の場所として知られる館。「衣川館」とも。衣川の戦いで藤原泰衡の襲撃を受け、義経は自害した。後の江戸時代、その跡地に義経堂(高館義経堂)が建立され、現在まで残っている。
中尊寺:平泉にある天台宗寺院。奥州藤原氏との関わりが深く、その栄華を象徴する史跡のひとつ。当時の美術・工芸・建築の粋を凝らした金色堂をはじめとする文化財を多く有し、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
祠:まつる。
吉次:いわゆる「金売り吉次」。『平家物語』や『源平盛衰記』『義経記』などに登場する伝説的人物。奥州で産出した金を京に運んで売る商人で、鞍馬寺にいた牛若丸(義経)と出会い、奥州への道案内をつとめたとされる。
吉次郷:このままで意味を取れば、「吉次の故郷」となる。しかし「祠る」の対象は、神や神となった人であり、「誰かの故郷をまつる」というのは不自然である。「吉次」という通称(仮名=けみょう)は本来「吉次郎」の略であるから(詳しくは「氏(うじ)・姓(かばね)・名字(みょうじ)・実名(じつみょう)・仮名(けみょう)- 日本人の名前の歴史」を参照)、「郷」を「郎」の誤字と考えれば、「吉次郎をまつる」となって、こちらのほうが自然である。「郷」も「郎」もともに陽韻であり、押韻上はどちらでも問題はない。『青淵詩存』にはところどころ誤字らしきものがあり、個人的にはここも「郎」の誤字であろうと考えるが、とりあえず『青淵詩存』の表記にしたがっておく。

餘論

この詩も、前回とりあげた「詣源判官祠(源判官の祠に詣づ)」が詠まれた東北旅行の際の作です。

史跡を訪ねて懐古の情にふけるというオーソドックスな詩ですが、商人の金売り吉次に着目したところが、経済人渋沢栄一らしいところと言えるかもしれません。歴史をふりかえるとき、軍事や政治の英雄ばかりに目が行きがちですが、その活躍を支えているのは昔も今も経済人なのだというのが渋沢の見方なのでしょう。