作者

 我謝盛保(毛世輝)

原文

佳蘇魚 其二

揚鰭鼓鬣憶當初
形是如梭長尺餘
誤上漁家香餌去
幾般變態作枯魚

訓読

佳蘇魚 其の二

鰭を揚げ 鬣を鼓すこと 当初を憶ふ
形は是れ梭の如く 長さは尺余
誤りて漁家の香餌に上り去り
幾般か態を変じて枯魚と作(な)る

カツオ

生きていた当時のことを思えば、背びれを高く上げ、小びれを打ち振るわしていたことだろう
今やその形は梭のようで、その長さは一尺余り
判断を誤って漁師の仕掛けたうまそうな餌に引っかかったばかりに
いくたびか姿を変えてカラカラに干乾びた鰹節となってしまったのだ

佳蘇魚:カツオ。柏木如亭『詩本草』「靑魚」の項にも「松魚有二、一指葛貲屋、・・・琉球呼爲佳蘇。(松魚に二有り、一は葛貲屋を指す、・・・琉球呼んで佳蘇と為す)」とある。
鰭:魚の背びれ。
鬣:人のあごひげ、馬のたてがみ、魚の小びれ、などを指すが、ここではもちろん魚の小びれ。
梭:ひ。布を織る際に、横糸を通すための道具。清朝から琉球に派遣された冊封使の徐葆光が帰国後に琉球の地理風俗についてまとめた報告書『中山傳信錄』(1721年)にも鰹節について「梭形なり」とある。 徐葆光《中山傳信錄》「佳蘇魚、削黑饅魚肉、乾之爲腊、長五六寸、梭形。出久高者良。食法、以温水洗一過、包芭蕉葉中入火略煨、再洗淨、以利刀切之。三四切皆勿令斷、第五六七始斷。毎一片形如蘭花、漬以清醤、更可口。」
尺:長さの単位。10寸。日本では1尺は約30cm。
香餌:よい香りのする餌。うまそうな餌。
幾般:いくたびか
枯魚:干上がってカラカラになった魚。ここでは鰹節のこと。

餘論

前回に続き、沖縄本土復帰50年にあわせて、琉球王国時代の沖縄の漢詩を紹介します。前回の程順則「東海朝曦」は見事な叙景詩でしたが、今回はカツオを詠んだ詠物詩です。

カツオ、といっても、この詩のカツオはすでに鰹節になってしまって、生きている頃の姿をとどめていません。しかし、作者はありし頃のカツオの雄姿を想像しながら、「漁師の仕掛けた餌に引っかかってしまったためにこんな姿になってしまって・・・」と憐れんでいます。作者の我謝盛保(毛世輝 1787~1830)は画家としても知られ、蘭を好んで描いたことから「我謝の蘭葉」という言葉が残るほどですが、この詩には画では表現できない時間の流れが詠み込まれており、非常に面白い作品だと思います。日本独自の素材という点では、前回の「東海朝曦」に詠まれた、明るく美しい海の景色と共通しています。

この詩が詠まれた当時は沖縄では鰹節は作られず、もっぱら薩摩からの購入に頼っていたようですので、この詩に詠まれた鰹節も薩摩産のものだったのでしょう。その後、時代が変わり、1901年(明治34年)に沖縄での鰹節製造が始まると、大正期にかけてカツオ漁とともに隆盛し、静岡・鹿児島に並ぶ三大生産地にまで成長しました。この時期の沖縄の鰹節産業は好景気に沸いたと伝わりますが、昭和に入ると不況の影響で鰹節の価格が暴落して、一転苦境に陥り、衰退していきました。一方で、鰹節が沖縄料理にとって不可欠な食材であることは昔も今も変わりありません。沖縄県の鰹節・削り節年間消費量は992g/世帯で、全国平均(223g/世帯)の4倍以上、ダントツの全国1位です(2020年データ)。

なお、注で引用した徐葆光の『中山伝信録』の文章を読むと、「佳蘇魚」は鰹節を指しており、加工前のカツオのことは「黒鰻魚」と呼んでいます。日本ではカツオに「鰹」の字を当てますが、これは日本独自の用法であり、「鰹」という漢字の本来の意味は「オオウナギ」です。徐葆光が加工前のカツオを「黒鰻=くろいウナギ」と表現していることと関係があるかもしれません。