大正天皇の漢詩(6) 時事有感(時事 感有り)
作者
原文
時事有感
風雨南庭木葉疎
乾坤肅殺九秋初
況逢西陸干戈動
頻向燈前覽羽書
訓読
時事 感有り
風雨の南庭 木葉 疎なり
乾坤 粛殺す 九秋の初め
況んや 西陸に干戈の動くに逢ふをや
頻りに灯前に向(おい)て羽書を覧る
訳
時事について感じることがあって作る
風雨の吹き荒れる南の庭では木の葉がまばらだ
秋のはじめの今、草木を枯らす厳しい気が天地に満ちてきた
まして欧洲で戦争が始まるに及んではなおさらだ
私は灯火の前で戦況についての緊急報告に何度も目を通している
注
肅殺:秋の厳しい気候が草木を枯らすこと
九秋:秋の九十日間。単に秋のことを指すのにも使う。
西陸:西の陸地。ここではヨーロッパ大陸のこと。この年(1914年=大正3年)の7月、欧洲で第一次世界大戦が勃発した。8月23日、日本も日英同盟に基づいてドイツに対し宣戦を布告し、連合国側に立って参戦した。
干戈動:戦争が起こること。「干戈」は盾と矛、武器の総称。
向:「向」は方向だけでなく、しばしば「於」や「在」と同じく場所をあらわす意味にも用いる。
羽書:危急を知らせて兵を集めたりするときに用いる手紙。もともと木の札に書き記し、これに鳥の羽をはさんでいたことから。羽檄とも。ここでは欧洲の戦況を知らせる緊急の報告書のたぐいであろう。
餘論
第一次世界大戦勃発後まもなくに詠まれた大正天皇の御製です。俳句などでは8月が初秋とされますが、この詩の場合は起承の描写から見て、もう少し本格的に秋らしくなってのち、少なくとも対独宣戦以降に詠まれたものと考えられます。
日本では、元老の井上馨のように世界大戦を「大正の天祐」として、貿易・財政赤字の解消、東アジアでの利権拡大の好機ととらえる見方も多くありましたが、この詩にはそのような浮かれた雰囲気は微塵もなく、全篇緊張感に満ちています。統治権の総攬者たる帝王にふさわしい詩と言えるでしょう。
なお、日本参戦後、大正天皇は侍従武官長に対し「今後戦報や急を要する機務は休日深夜といえども直ちに奏上せよ」と命じられたことが伝わっており(木下彪『大正天皇御製詩集謹解』)、結句は作詩上の脚色ではなく事実の描写とみてよいでしょう。
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