高杉晋作の漢詩 念日 麻田翁と隅田川に游び 酒を青柳楼に酌む 楼は二州橋の東に在り

作者


原文

念日與麻田翁游隅田川酌酒於靑柳樓樓在二州橋東

醉臥欄干夢寐間
櫓聲鳥語滿川閑
二州橋上日斜處
萬戸屋頭看富山

訓読

念日 麻田翁と隅田川に游び 酒を青柳楼に酌む 楼は二州橋の東に在り

欄干に酔臥す 夢寐の間
櫓声 鳥語 川に満ちて閑かなり
二州橋上 日 斜めなる処
万戸の屋頭 富山を看る

二十日、麻田翁と隅田川で遊び、青柳楼で酒を飲んだ。その楼は両国橋の東にある

酔っぱらって欄干に突っ伏してまどろんでいると
船を漕ぐ櫓の音や鳥の鳴き声が川に満ちてのどかだ
両国橋のあたりに日が傾くころ
大江戸の幾万の家の屋根の上に富士山が見えた

念日:二十日のこと。文久3年1月20日(1863年3月9日)。
麻田翁:麻田公輔。長州藩士周布政之助(1823~1864)のこと。この詩の前年、酔って土佐藩前藩主山内容堂に暴言を吐いた罪で謹慎となり、その際に名を麻田公輔と改めた。
夢寐:夢を見ている間。寝ている間。
二州橋:両国橋。「両国」は「二つの国(武蔵国と下総国)」の意であるから、これを「二州」と表現したもの。
處:「處」は場所だけでなく、「~の頃、時」という時間の意味にもなる。ここは後者であろう。
富山:富士山

餘論

新暦で3月9日、ちょうど今の季節、高杉晋作が詠んだ富士山の詩です。江戸の街並みの向こうに聳える富士山というのはよくある構図ではありますが、夕方すでに酔いつぶれた目で眺めるというのが高杉らしいところです。

周布政之助は村田清風のあとをうけて藩の政務役として藩政改革を主導した人物で、高杉ら松下村塾の面々ともつながりのある攘夷派でしたが、この詩の翌年、禁門の変や第一次長州征伐で事態を収拾できず失脚し、9月に責任を痛感して自害しました。そのことを思うと、このとき周布と高杉はいったい何を語り合って酔いつぶれたのか、夕日に染まる富士山をはるかに望んで高杉は何を思ったのか、興味は尽きません。