新井白石の漢詩(3) 自題肖像(自ら肖像に題す)
作者
原文
自題肖像
蒼顔如鐡鬢如銀
紫石稜稜電射人
五尺小身渾是膽
明時何用畫麒麟
訓読
自ら肖像に題す
蒼顔 鉄の如く 鬢 銀の如し
紫石 稜稜として 電 人を射る
五尺の小身 渾て是れ胆
明時 何ぞ用ひんや 麒麟に画(えが)かるるを
訳
自分の肖像に書きつけた詩
年を重ねた顔は鉄のように青黒く光り、鬢の白髪は銀のように輝く
その眼は紫水晶のように鋭く光り、稲妻のような眼光が人を射抜く
子供のような小柄な身ながら、全身が胆っ玉のような力強さ
ただ、今は平和な御代のため麒麟閣にこの肖像を掲げられるような大きな戦功をあげる必要がないのだ(そうでなければ、武功をたててこの肖像を麒麟閣にかかげたいものだ)
注
蒼顔:年老いて青黒くなった顔。蘇軾《九月十五日、邇英講論語、終篇、賜執政講讀史官燕於東宮。又遣中使就賜御書詩各一首、臣軾得紫薇花絕句、其詞云、絲綸閣下文書靜、鐘鼓樓中刻漏長、獨坐黃昏誰是伴、紫薇花對紫薇郎。翌日各以表謝又進詩一篇、臣軾詩云》「蒼顔白髮便生光」
鬢:耳ぎわの髪の毛。
紫石稜稜:「紫石」は紫水晶。「稜稜」は角ばっていかめしいさまや寒さの厳しいさまをあらわすが、ここでは眼光の鋭いさま。《晋書桓温傳》「温眼如紫石稜(温、眼は紫石の稜たる如し)」
電:稲妻。
五尺:古代中国の1尺は約23cm、5尺で115cm程度で、一般に子供の身長をあらわすのに用いられたが、ここでは子供程度の身長、という意味であろう。なお、江戸時代の日本の1尺は約30cm、5尺で150cmくらいになるので、ここでの「五尺」を江戸時代の5尺と考え、文字通りに150cmの身長の意とする見方も可能ではあるが、そうすると「小身」の語に合わない(江戸時代の男子の平均身長は155cmほどであり、150cmの身長では「小身」とは言えない)。《孟子・滕文公下》「雖使五尺之童適市、莫之或欺(五尺の童をして市に適かしむるも、之を欺くこと或る莫し)」
渾是膽:全身が胆っ玉。豪胆であること。度胸がすわっている。蜀の劉備が趙雲の武勇を評した言葉に基づく。《三国志・蜀書注》「雲別傳曰、・・・・先主明旦自來至雲營圍視昨戰處、曰、子龍一身都是膽。」
明時:すぐれた君主のもとでよく治まった平和な時代。
麒麟:麒麟閣。前漢の武帝が建てたたかどの。宣帝のときに、功臣十一人の肖像をかかげさせた。
餘論
宝永7年10月(1710年12月)、白石が、中御門天皇の即位の大典に合わせて将軍徳川家宣に上洛を命じられ、江戸を出発する際に詠んだとされる詩で、白石の代表作として知られる作品です。この前年に家宣が将軍となり、白石は事実上の幕政トップとして辣腕をふるいはじめていました。かつては先の見えない浪人の身であったことを考えれば、まさに夢のような大出世であり、自らの理想を実現しようという野心に燃えていたことでしょう。この詩からも、強烈な自負と昂揚感、ナルシシズムが読み取れます。
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