近藤勇の漢詩 有感作(感有りて作る)

作者

原文

有感作

只應晦迹寓牆東
喋喋何隨世俗同
果識英雄心上事
不英雄處是英雄

訓読

感有りて作る

只だ応に迹を晦(くら)まして牆東に寓すべし
喋喋として何ぞ世俗に随ひて同じからんや
果たして識る 英雄心上の事
英雄ならざる処 是れ英雄

感じることがあって作る

ただ世の中を避けて姿をかくし、陶淵明のように垣根の東に隠棲するべきなのだ
どうしてベラベラと得意げにしゃべる世の俗人どもの真似などするだろうか
俺にはついにわかったのだ、英雄の心のうちというものが。
一見、英雄らしくないことこそが、真の英雄なのだ。

晦迹:あとをくらます。世間から身を隠す。
:身を寄せる。仮住まいする。
牆東:垣根の東。陶淵明の《飲酒・其五》「采菊東籬下、悠然見南山」にちなんで、隠棲する場所を意味する。
喋喋:ベラベラおしゃべりするさま。
:ついには、はては。《國語・晉語三》「佞之見佞、果喪其田、詐之見詐、果喪其賂。韋昭注:果、猶竟也。」《呂氏春秋・忠廉》「吳王不能止、果伏劍而死。高誘注:果,終也。」

餘論

平成23年(2011年)10月に、この詩が書きつけられた掛け軸が発見されて話題となりました。署名は「剣客の士 近藤勇」とあります。京の都で市中見廻りをしていたころ、隊の運営のため商人から借金する際に、お礼として書きつけたものではないかと言われています。

この詩は間違いなく結句の「不英雄處是英雄」が詩の中心で、起句から転句まではその結句を導くために作られています。借金のお礼として書き与えるくらいですから、近藤としても自信作であり、自分をアピールするのに格好の詩だと考えていたのでしょう。「俺は今どきのはやりと違って、英雄ぶって偉そうに国事を論じたりはしない、だが、本物の英雄というのはそういうものだ」というのは、自身の立ち位置の宣言であり、自負と矜持の表明でもあります。