伊藤博文の漢詩 丙申五月二十四日靑宮殿下臨大磯別墅恭賦(丙申五月二十四日、青宮殿下、大磯の別墅に臨む。恭しんで賦す)

作者

原文

丙申五月二十四日靑宮殿下臨大磯別墅恭賦

雨晴東海啓雲霞
含咲芙蓉迎鶴車
賢德日隆輝四表
恩光更及野人家

訓読

丙申五月二十四日、青宮殿下、大磯の別墅に臨む。恭(つつ)しんで賦す。

雨晴れて東海に雲霞 啓(ひら)き
咲(ゑ)みを含む芙蓉 鶴車を迎ふ
賢徳 日に隆(さかん)にして四表に輝き
恩光 更に及ぶ 野人の家

丙申の年(明治29年=1896年)5月24日、皇太子殿下が大磯の私の別荘にお見えになったので、つつしんで詩を作った

雨があがり、太平洋の雲や霧もはれ
咲き始める芙蓉の花のような富士山が皇太子の御車を迎える
皇太子殿下の賢明な徳は日ごとに高まって、四方にむかって輝いており
そのいつくしみ深い光は今日さらに、この田舎者の家にまで及ぶこととなった

丙申:干支の一つ。ひのえさる。明治29年(1896年)。干支については「干支について」を参照。
靑宮:東宮に同じ(「靑」は五行で東に属する)。皇太子。明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)。
大磯:神奈川県南部の地名。明治から昭和にかけて要人の避暑・避寒地として知られ、伊藤博文もここに「滄浪閣」という別荘を持っていた。
別墅:別荘。
東海:ここでは太平洋。
雲霞:通常、朝焼け、夕焼けの雲のことだが、ここでは雲や霧という意味であろう
含咲:咲き始める。「咲」と「笑」はもともと同じ字であり、両字とも「人が笑う」と「花が咲く」の両方の意味を持つ。
芙蓉:富士山のこと。別名を「芙蓉峰」と呼ぶ。
鶴車:皇太子の御車。
賢德:賢くて徳があること。また、賢明な徳。
四表:四方。四方の果て。
野人:田舎に住んでいる人。

餘論

伊藤博文が、明治29年(1896年)5月、皇太子(のちの大正天皇)を自らの別荘に迎えたときに詠んだ詩です。このとき伊藤は2度目の首相在任中で、前月の4月には下関条約によって日清戦争を勝利で終わらせたものの、その直後に起こった三国干渉に屈服して遼東半島を清国に返還することとなり、輿論の激しい批判にさらされていました。3ヶ月後の8月には総辞職することになります。

詩は全編、予定調和に満ちていますが、実作する視点から言えば、予定調和の詩を作るのは意外と難しいもので、たいていつまらない詩になるものです。しかし、この詩は無駄のない構成に、テーマにふさわしい内容を格調高く盛り込んで目立った瑕疵が見当たりません。詩人伊藤博文の力量の一端が垣間見える作品です。