新井白石 蕎麥麵(蕎麦麺)

作者

原文

蕎麥麵

落磨玉屑白皚皚
素餠團圓月樣開
蘆倒孤洲吹雪下
蓬飄平野捲雲來
鸞刀揮處遊絲亂
翠釜烹時疊浪堆
萊箙葷葱香滿碗
肯將麻飯訪天台

訓読

蕎麦麺

磨より落つる玉屑 白 皚皚
素餅 団円として月様に開く
蘆は孤洲に倒れて雪を吹き下り
蓬は平野に飄(ひるがへ)りて雲を捲き来たる
鸞刀 揮ふ処 遊糸 乱れ
翠釜 烹る時 畳浪 堆(うずたか)し
萊箙 葷葱 香 碗に満つ
肯へて麻飯を将って天台を訪ねんや

そば

石臼から落ちてくる蕎麦粉は玉の粉末のように真っ白に輝き
そば粉をこねて作った蕎麦玉はまんまるで、それを押しつぶして月のように広げて生地にする
離れ小島に蘆が倒れるように生地の上に麺棒を横たえ、吹雪を起こすように勢いよく打ち粉をする
ムカシヨモギが平原を転げまわるように麺棒が生地の上を転がると、雲を巻き上げるかのように打ち粉が宙に舞い上がる
美しい庖丁が振り下ろされると、まるで空をただよう蜘蛛の糸のように細い麺が次々と切り出され
見事な鍋で麺をゆでると、まるで重なり寄せる高波のように麺が熱湯の中で激しく踊る
できあがった蕎麦に添えられた大根おろしや長ねぎなどの薬味の香りが碗いっぱいに広がる
これほどうまいものを口にすれば、胡麻飯にひかれて天台山の仙境を訪ねようという気になどなりはしないのだ

蕎麥麵:そば。
:石臼。ひき臼。
玉屑:玉(ぎょく)を削った粉。雪のたとえとして用いることが多いが、ここではそば粉をたとえている。玉の粉末は不老不死の仙薬と見なされていたというイメージも含んでいるであろう。謝翺《後桂花引》「修月仙人飯玉屑」
白皚皚:真っ白にかがやくさま。杜甫《晩晴》「崖沈谷没白皚皚」
素餠:そば粉を練った白いかたまり。「素」は白い、「餠」は小麦粉などをこねたもの。
團圓:まんまるなさま。
月樣:月のように。「樣」は~のように、の意。
孤洲:離れ小島。「洲」は島。
吹雪下:(風が)雪を吹きつける。吹雪を起こす。
:日本でいう「ヨモギ」(キク科)ではなく、ムカシヨモギ(キク科)やホウキギ(アカザ科)の仲間を指す。乾燥地帯に生育し、枯れたあとは風に吹かれると根から抜けてまるまって原野を転がっていくことから、「転蓬」「飛蓬」などと表現される。
鸞刀:鸞(鳳凰に似た鳥)の形の鈴のついた刀。庖丁を美化していったもの。
遊絲:空中にただよう蜘蛛の糸。
翠釜:仙人の食事を煮る精巧な釜。蕎麦をゆでる鍋を美化していったもの。
疊浪:重なって寄せる波。
萊箙:大根。
葷葱:長ねぎ。
:~する気がある。~する気になる。しばしば疑問の助字なしに反語となる。王維《老将行》「肯數鄴下黄鬚兒(肯へて数へんや鄴下黄鬚の児)」
:もって。「以」に同じ。白居易《長恨歌》「唯將舊物表深情」
麻飯:胡麻飯。漢の明帝の時代、劉晨・阮肇のふたりが天台山中で迷った折り、川に浮かんでいる胡麻飯をたよりに仙境にたどりついたという故事をふまえる。
天台:天台山。中国浙江省東部の山。中国天台宗の開祖智顗がこの山に登って教学を確立したことで有名。

餘論

蕎麦打ちの様子を多彩な比喩を駆使して詠んだ新井白石の七言律詩です。日本では古くは蕎麦は、蕎麦粉を湯でこねて餅状にした「蕎麦がき」として食べられていましたが、16世紀後半には、現在のように細長い麺状にして食べる「蕎麦切り」が登場し、17世紀半ばには江戸を中心に庶民に普及していき、白石のころには蕎麦屋も多く店を出すようになっていたようです。当時、蕎麦屋は庶民の店であったため、身分のある武士が蕎麦屋に出入りすることはなかったものの、下層の武士や浪人は人目を気にせず蕎麦屋で食事をしたそうです。白石は浪人の時期が長かったので、ひょっとすると、そのころ蕎麦屋に出入りして目にした蕎麦打ちの光景を思い出しながら詩を作ったのかもしれません。

比喩の部分は、いろいろな解釈があり得るでしょうが、私は上記のとおり訳しておきました。いかんせん、私自身、蕎麦打ちをしたことがないので、的外れなところがあるかもしれません。蕎麦打ちの経験豊富な方からのご意見、お待ちしております。