福澤諭吉の漢詩(7) 新聞條例發布(新聞条例発布)
作者
原文
新聞條例發布
加茂之流不如意
當年天子信堪哀
如今唯一片條例
壓取心波情海來
訓読
新聞条例発布
加茂の流れは意の如くならず
当年の天子は信(まこと)に哀れむに堪えたり
如今 唯だ一片の条例にて
心波 情海を圧取し来たる
訳
新聞条例発布
鴨川の流れが思い通りにならないと嘆いた
かつての白河上皇はまことにあわれむべきである
なぜなら、今日では、たったひとつの条例だけで
国民の心情の海の波を押しつぶすことができるのだから
注
新聞條例:新聞紙条例。明治8(1875)年に従前の「新聞発行条目」を全面的に改正するかたちで成立。新聞・雑誌の発行を許可制とし、筆名を禁止したほか、政府の許可のない建白書の掲載を禁じるなど、高まる自由民権運動に対処するため、マスコミによる反政府的言論を厳しく取り締まった。明治16(1883)年4月の改正では、さらに内容が強化されて多数の新聞が廃刊に追い込まれたため、「新聞撲滅法」とまで呼ばれた。
加茂之流不如意:白河上皇(1053~1087)が「賀茂河の水(鴨川の氾濫)、双六の賽(サイコロの目)、山法師(比叡山延暦寺の僧兵)」の三つを、自分の権力をもってしても思い通りにならぬもの(天下三不如意)として嘆いたという逸話。
當年天子:かつての帝。白河上皇のこと。父・後三条天皇から譲位されて延久4年(1072年)に即位。応徳3年(1086年)、息子の堀河天皇に譲位して上皇となり、以後、43年にわたって院政を敷き、強大な権力をふるった。
堪:十分~することができる。思いのままに言論弾圧できる今日の藩閥政府にくらべれば、絶大な権力をふるった白河上皇ですら「三不如意」があった分だけ、憐れむに足る、というニュアンスであろう。
如今:ただいま。今日。
心波情海:心情の海の波。
餘論
明治16(1883)年の作といわれます。新聞紙条例の改正による言論統制強化を批判する詩ですが、あからさまに批判の言葉だけを連ねても詩にはならないため、平安時代後期、強大な権力をふるった白河上皇を引き合いに出して、皮肉たっぷりにまとめています。米国大統領選中のフェイクニュースの流布や、トランプ大統領によるメディア攻撃が話題となる昨今ですが、もし福翁が生きていたらどんな詩を作ったか、興味をそそられます。
なお、転句は「如今+唯一片+條例」つまり「2字+3字+2字」という構成になっています。本来、七言詩の一句は「2字+2字+3字」という構成でなければならないので、これは破格というべきです。また「如」の字が重出しており、専門的な視点からすると、やや難のある詩と言わざるを得ませんが、それでもやはり面白い内容の詩です。
なお、転句は「如今+唯一片+條例」つまり「2字+3字+2字」という構成になっています。本来、七言詩の一句は「2字+2字+3字」という構成でなければならないので、これは破格というべきです。また「如」の字が重出しており、専門的な視点からすると、やや難のある詩と言わざるを得ませんが、それでもやはり面白い内容の詩です。
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