渋沢栄一の漢詩(29) 辛未元旦書感(辛未元旦 感を書す)
作者
原文
辛未元旦書感
九十二齡神氣新
屠蘇又作太平人
皇恩無限身忘老
稽首朝窗拜紫宸
訓読
辛未元旦 感を書す
九十二齢 神気 新たなり
屠蘇 又た作る 太平の人
皇恩 限り無く 身は老いを忘る
朝窓に稽首して紫宸を拝す
訳
辛未の年(昭和6年)の元旦、感じることをしるす
数えで92歳になったこの正月、気力も新ただ
屠蘇を飲めばさらに健やかに太平の世を楽しむ人となる
みかどの大いなる恩には限りがなく、おかげでこの身も老いを忘れることができる
だから朝の窓にむかって頭を下げ皇居を拝し奉るのだ
注
辛未:かのとひつじ。干支のひとつ。昭和6年(1931年)。
神氣:精神、気力。
屠蘇:数種の生薬を調合した屠蘇散(現在の日本では山椒・細辛・防風・肉桂・乾姜・白朮・桔梗の組み合わせが一般的)を浸して作る縁起物の酒。屠蘇散の内容は時代や地方によって異なる。伝承では後漢末の名医華佗が発明したともいう。正月元旦に年少者から順に飲んでいく。
稽首:頭を地につけて敬礼する
紫宸:内裏の正殿。平安中期以降、即位礼や大嘗祭などの重要儀式の舞台となった。現在、京都御所には安政2年(1855年)に再建された紫宸殿が残っているが、ここでは単に皇居のことを指す。
餘論
渋沢栄一は、特に晩年、ほぼ毎年、元旦に思いを漢詩に詠んでいます。人生の残りの年月を意識するようになると、時の区切りというものの重みを強く感じるのかもしれません。この詩はその最後の元旦の詩です。この年の11月に渋沢は亡くなります。
起句で「九十二齡」と言っていますが、これは満年齢ではなく、数えの年齢です。当時も公的に正式な年齢は満年齢でしたが、人々の生活上の年齢感覚は昔ながらの数えの年齢によるものでした。天保生まれの渋沢の場合は特にそうだったでしょう。
数えでは、誕生時点で1歳、その後、元旦を迎えるたびに1歳加わります。つまり元旦にすべての人が一斉に歳をとるという仕組みです。かつての正月にはこのめでたさが存在していました。正月の詩に年齢に言及することが多いのは、この仕組みがあったからこそで、このことを理解して読まないと、詩にこめられためでたさも半減してしまいます。
この詩の詠まれた元旦時点で、渋沢の満年齢は90歳、この年の3月に誕生日を迎えて満91歳となり、11月に満91歳で亡くなります。一方、数えでは元旦に92歳となり、その後誕生日は関係なく92歳のままで亡くなったことになります。
若き日に尊皇攘夷を志した渋沢が、最後の元旦に詠んだ詩は、皇恩の偉大さを説くものでした。青年時代以来の純粋な尊皇の思いは、亡くなるまで色褪せることはなかったのでしょう。
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