作者


原文

偶成

午夢覺來歸興濃
嫌他塵事悩疎慵
趁涼時向駿臺望
又被頑雲遮富峰

訓読

偶成

午夢覚め来たって 帰興 濃やかなり
嫌ふ 他の塵事の疎慵を悩ますを
涼を趁ひて時に駿臺に向て望めば
又た頑雲に富峰を遮らる

たまたま出来た詩

昼寝の夢から覚めると故郷に帰りたい気持ちが強くなる
浮世の煩わしい事どもが物ぐさな私を悩ませるのが嫌になる
涼しさを求めて駿河台から富士山を望み見ようとしたが
気の利かない雲に遮られて見ることができない

歸興:『青淵詩存』では「歸與」に作るが、どう考えても意味が通じないため、ここでは「歸興」の誤りと判断しておいた。
嫌他:「他」は「かの」と読み、「あの」「その」という意味だが、ここでは大した意味はない。動詞+「他」の形において、しばしば「他」はリズムをととのえる程度の意味しか持たないことがある。「任他・從他(さもあらばあれ)」「憐他」「怪他」「笑他」など、みなこの類である。
疎慵:物ぐさなこと。疎懶。
向:「向」は方向を示す以外に、場所をあらわして「於(おいて)」「在(あり)」と同義となる。ここでも後者の意で、「駿台において」となる。 
駿臺:「駿河臺」の略。東京都千代田区北部に位置する台地。大御所徳川家康が没した後、家康に従っていた旗本たち(駿河衆)が江戸に戻って、富士山が望めるこの辺りに居をかまえたことから駿河台の名がついたとされる。
被:受け身をあらわす助字
富峰:富士山

餘論

明治2年、当時静岡藩(徳川宗家)に仕えて商法会所頭取だった渋沢栄一の詩です。

昼寝覚めに郷愁をもよおし、煩わしい仕事のことで落ち込み、せめて気分転換に富士山でも眺めて涼しさを感じようとしたのに、今度は気の利かない雲に遮られて富士山が見えない、とボヤいています。「又」のニュアンスが訳しにくいのですが、「その上、せめてもの気分転換さえも邪魔されるのか」という嘆きがこめられていて、よく効いている一字だと思います。

フランスから帰国後、明治元年12月から静岡藩に仕えることとなった渋沢ですが、明治2年6月から8月まで、外務省からの呼び出しにより東京に滞在していました。なお、静岡にも駿河台という土地はあるようですが、「涼を趁ふ」という言葉があることから、東京滞在期間中の詩であると考えられ、「駿臺」も東京の駿河台でしょう。

「塵事」というのが、外務省に呼び出された件のことなのか、東京滞在中に静岡の商法会所で起きたトラブルのことなのか、あるいはその両方なのかわかりませんが、とにかく大変だったことは間違いなく、せめて富士山くらい綺麗に見せてくれと雲に腹を立てる気持ちはよく理解できます。