渋沢栄一の漢詩(10) 自題小照(自ら小照に題す)
作者
原文
自題小照
對鏡吾還疑我眞
雪磨氷厲幾精神
浮華除却少年志
斷髪也爲學射人
訓読
自ら小照に題す
鏡に対して吾は還って我が真を疑ふ
雪磨 氷厲 幾精神
浮華 除却す 少年の志
断髪 也た為る 射を学ぶの人
訳
自分の写真に詩を書きつける
最近は鏡を見てもかえってこれが自分の本当の姿かと疑ってしまう
かつては厳しい環境のなかで雪で磨き氷で研ぐように何度も精神を鍛えてきた
だが今では世の中のうわべの華美に浮かれ少年の頃の志を忘れてしまっている
髷を切ったこの機会に、私も列子が弓を学んだときのように物事の原理から学ぶ人間になることにしよう
注
小照:小さな肖像画・写真。また謙遜して自らの肖像画・写真。
還:かえって。たちかえって。
雪磨:雪で磨く。
氷厲:氷で研ぐ。「厲」は砥石で研ぐこと。
浮華:うわべばかり華美で実のないこと。
也:「亦」の俗語。「~もまた」「それでもやっぱり」
學射:弓を射ることを学ぶ。古代中国の思想家列子は弓を学び、的に命中できるようになった。そこで関尹子という弓の先生を訪ねたところ、関尹子に「なぜ的に命中できたのかがわかっているか」と尋ねられ、「わかりません」と答えたら、「まだダメだな」と言われ、さらに3年間修業した。再び関尹子を訪ね、同じ質問をされたので、「わかりました」と答えたところ、「それでいい。肝に銘じて忘れるな。弓を射ることだけでなく、国を治めることもわが身を修めることも、すべて同じことなのだ」と教えられたという。 《列子・説符篇》「列子學射、中矣。請於關尹子。尹子曰、子知子所以中者乎。對曰、弗知也。關尹子曰、未可。退而習之三年、又以報關尹子。尹子曰、子知子所以中乎。列子曰、知之矣。關尹子曰、可矣。守而勿失也。非獨射也、為國與身亦皆如之。」
餘論
慶應3年、フランス滞在中の渋沢が髷を切り、その姿を写真に撮った際に詠んだ詩です。
『青淵詩存』の慶應3年の部には、この詩ともう一首(「捕魚圖」)しかなく、明治元年の部はありません。「捕魚圖」詩は訪仏とは関係のない内容ですので、フランス訪問期間にリアルタイムでその体験を詠んだ詩として残っているのは、この「自題小照」詩のみということになります(すでに紹介したように後年の再訪仏時に当時を思い起こして詠んだ詩はあります)。おそらく訪仏期間中は東奔西走で多忙を極め、詩を作る時間もなかなか取れなかったのではないでしょうか。
そんな中でもこの詩を詠んだということは、やはり、断髪したこと、そして、それを写真に撮ったということが、渋沢にとって一大イベントだったということでしょう。結句で用いられている『列子』の故事は、的に命中したかどうかという表面的な結果ではなく、どうして命中できたのかという原理を理解することが重要だ、というエピソードであり、心機一転、断髪した渋沢の決意表明といえます。
この決意表明どおり、渋沢はフランス滞在中、欧州各地を積極的に視察し、近代文明を支える政治経済の原理と仕組みを学び、理解して帰国し、やがて「日本資本主義の父」となっていきます。この詩はまさに有言実行のスタートとなった詩といえるでしょう。
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