作者

栗本鋤雲

原文

唐太小詩 其一

一場歌哭動秋穹
木幣毿毿崖樹中
日暮老夷來報道
西鄰明旦祭雛熊

夷中稍有勢力者必圏養雛熊至冬春漁間會遠近群夷據式椎殺以擧熊祭之典祭後連日夜歡歌縱飲

訓読

唐太小詩 其の一

一場の歌哭 秋穹を動かす
木幣 毿毿たり 崖樹の中
日暮 老夷 来たりて報道す
西隣 明旦 雛熊を祭ると

夷中 稍や勢力有る者、必ず雛熊を圏養す。冬春の漁の間に至りて、遠近の群夷を会し、式に拠りて椎殺し、以て熊祭の典を挙ぐ。祭後、連日夜、歓歌縦飲す。

樺太小詩 その一

ひとときのあいだ歌い泣く声が秋空を揺り動かすようにひびき
イナウが崖の上の木々の中でひらひらと垂れ下がっている
夕暮れになってアイヌの老人がやって来て知らせてくれたところによると
西隣の集落で明朝にイオマンテがおこなわれるそうだ

自注:アイヌの中で、ある程度の勢力のある者は必ずヒグマの子を檻に入れて飼育している。冬から春にかけての漁のあいまの時期になると、周囲の集落の人々を集め、しきたりに則って打ち殺し、イオマンテの祭典を挙行する。祭典のあとは、連日連夜、楽しく歌い、好きなだけ酒を飲む。

唐太:樺太。サハリン。
歌哭:歌い泣く。イオマンテの準備の段階で、熊の檻の周りを囲んで踊り、別れを惜しむが、その様子を描いたものか。
秋穹:秋空
木幣:アイヌの祭具、イナウのことを指すと思われる。イナウは神道でいえば御幣にあたるようなもので、カムイや先祖と人間のあいだを取り持つものとされる。ヤナギなどの木の枝の皮を剥いて乾燥させてから、端に向かって薄く削ることを繰り返して作製する。イオマンテのような重要な儀式では大量のイナウが必要とされた。
毿毿:毛の長いさま。細長く垂れるさま。
報道:知らせる
明旦:明治24年出版の『唐太小詩』では「明且」となっているが、文脈を考えれば「明旦」の誤りと思われる。
祭雛熊:イオマンテ(熊送り)。アイヌの儀礼のひとつで、ヒグマを殺してその魂を神々の世界へ送り返す意味がある。狩猟で捕獲したヒグマの子供を大切に1~2年飼育してから、盛大な儀式を挙行して屠殺し、その肉は人々にふるまわれる。
圏養:「圏」は動物を入れる檻、囲い。檻に入れて飼育すること、
式:おきて、きまり。一定の型。
椎殺:椎(つち)で打ち殺す。ただし、実際のイオマンテでは、打ち殺すのではなく、丸太の間にヒグマの首を挟んで殺す。
縱飲:ほしいままに飲む。好きなだけ飲む。

餘論

 函館奉行組頭となっていた栗本鋤雲は、文久2年(1862年)秋から翌春にかけて、幕府の命により樺太を探検します。その際に見聞したことを詠んだ詩二十余首が『唐太小詩』としてまとめられています。収録されている詩には題はなく、それぞれの詩のうしろに説明文が附されています。今回取り上げた詩は、『唐太小詩』の最初の詩として掲載されているものであるため、サイトの都合上、「唐太小詩 其一」と題しておきました。

アイヌの儀式として有名なイオマンテを題材にした非常に珍しい漢詩です。明治の近代化以降には、北海道に居住したり旅行したりした知識人によってアイヌの文化や風習が漢詩に詠まれることも見られるようになりますが、鋤雲のこの詩はそれらの先駆的な存在と言ってよいでしょう。おそらく鋤雲自身も、この詩が『唐太小詩』の巻頭を飾るのにふさわしいと考えて、詩集の冒頭に置いたのではないでしょうか。

詩の内容としては、イオマンテの本番ではなく、その前日の情景を描いたものになっています。起句と承句は、昼間に目にした光景、その後、隣の集落に移動して夕暮れを迎えたところで、老人が「隣の集落で明朝イオマンテを行う」と知らせてくれて、昼間に見たのはイオマンテの準備だったとわかったということでしょう。維新後はジャーナリストとして活躍することになる鋤雲らしい冷静な観察眼の光る詩だと思います。

ヒグマの屠殺のしかたについては、実際のイオマンテと異なる描写がなされていますが、これは鋤雲の誤解によるものなのか、あるいはひょっとすると当時の樺太アイヌには「椎殺」する集落があったのかもしれません。

なお、鋤雲はアイヌを「夷」と表現していますが、そもそも北海道を「蝦夷地」と呼んでいたように、当時としては一般的な認識であって、今日の価値観でもって目くじらを立てても仕方がありません。