高杉晋作の漢詩 西浦港寄内(西浦港にて内に寄す)

作者


原文

西浦港寄内

嘗恐嚴刑及親戚
枉爲孤客滯天涯
無情眞箇有情極
休道狂夫不憶家

訓読

西浦港にて内に寄す

嘗て恐る 厳刑の親戚に及ぶを
枉げて孤客と為りて天涯に滞る
無情は真箇 有情の極み
道ふを休めよ 狂夫は家を憶はずと

西浦港で妻に向けて詠む

身内に厳刑が及ぶことを恐れていたからこそ
自分の気持ちに反して孤独な旅人となって遠く離れた地に滞在しているのだ
情け知らずのように見えることこそ、本当は究極の情け深さなのだから
うちの主人は頭が変だから家のことなど気にもかけていないのよ、などと言ってくれるな

西浦港:香川県坂出市にある港。
内:妻。正妻の雅子(雅)。
枉:無理にも。本来の気持ちとは異なるが我慢して。
天涯:天の果て。遠く離れたところ。
真箇:まことに
狂夫:頭のおかしい男。また、自分の夫のことをいう謙称。ここでは直接的には後者の意味だろうが、前者の意味もこめているのであろう。

餘論

慶應元年(1865年)4月、下関開港を進めようとした高杉は長州藩内で攘夷派・俗論派双方から命を狙われることになり、讃岐の侠客・日柳燕石をたよって四国へ逃れることになります。6月には桂小五郎の調停で帰藩できることになりますが、この四国潜伏期間に、国元に残した正妻の雅子に向けて詠んだのがこの詩です。

無情にも家族など捨てて逃亡したと見せることによって家族に累が及ぶのを避ける、つまり、家族のことを何より思っているからこそ無情に見せかけているのだ、というのが、転句の「無情は真箇 有情の極み」の意味です。

そう言われてしまうと、なるほど、ひとり残してきた妻への深い思いが感じられる詩だなあ、と思ってしまいますが、実際には高杉はこのとき愛人の「おうの」(谷梅処)を連れて逃げていましたので、詩中の「孤客」というのは嘘です。愛人同伴の逃避行ですので、実際はこの詩に詠まれたような悲壮なものではなかったでしょうし、この詩を受け取った正妻の雅子が内容を額面通りに受け取ったかどうか興味を惹かれますが、それを知るすべはありません。

ちなみに、この逃避行の翌年に、正妻の雅子と愛人おうのは初めて対面することになりますが、そのときに高杉がふざけて詠んだ詩が「戯作(戯れに作る)」です。