大正天皇の漢詩(9) 詠海(海を詠ず)
作者
原文
詠海
積水連天足偉觀
百川流注涌波瀾
由來治國在修德
德量應如大海寛
訓読
海を詠ず
積水 天に連なり 偉観 足り
百川 流れ注ぎて 波瀾 涌く
由来 国を治むるは徳を修むるに在り
徳量 応に大海の如く寛なるべし
訳
海を詠む
海の水ははるか遠く空まで続き、すばらしい眺めに満ちている
たくさんの川が流れ注ぎ、大波小波が湧き起こる
そもそも国を治めることの要点は徳を修養することにあるのだから
徳の大きさは、この大海のようにひろびろとした、寛大なものでなければならない
注
積水:集まり積もった水。転じて海のこと。 《荀子・儒效》「故積土而爲山、積水而爲海」 王維《送祕書晁監還日本國》「積水不可極 安知滄海東」
偉觀:すばらしい眺め。壮観。
足:十分にそなわっている。たくさんある。満ち足りている。「おおし」と訓じてもよい。
波瀾:なみ。大波小波。
餘論
大正天皇には「詠〇〇」という詩題のいわゆる詠物詩が多くあり、大正4年(1915年)に詠まれたこの詩もそのひとつです。前半は海そのものの光景を描き、後半では海にちなんで君主の心得を説いて、王者にふさわしい風格の作品となっています。
転結の内容は、「泰山は土壌を譲らず、故に能く其の大を成す。河海は細流を択ばず、故に能く其の深きを就す。王者は衆庶を却けず、故に能く其の徳を明らかにす。」(『戦国策』「秦策」)などから発想されたことは明らかですが、それら古典の含意が自然な詩句の形にあらわされていて、帝王学として学ばれた漢籍の知識を天皇が自家薬籠中のものとしていたことがうかがわれます。
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