徳富蘇峰の漢詩 昭和改元

作者

徳富蘇峰

原文

昭和改元

大正天子駕龍去
血淚黎元流作河
一系神孫承大統
乾坤遍照入昭和

訓読

昭和改元

大正の天子 龍に駕して去り
血涙 黎元 流れて河を作す
一系の神孫 大統を承け
乾坤 遍く照らされて 昭和に入る

昭和改元

大正天皇は龍に乗って天へ去りたまい
悲しむ人民の流す血涙は河となるほどだ
だが、偉大な皇統は万世一系の神の子孫である新たなミカドによって受け継がれ
天地はあまねく照らされて昭和の新たな御代に入っていくのだ

昭和改元:1926年(大正15年)12月25日、大正天皇の崩御にともない、皇太子迪宮裕仁親王が践祚、昭和と改元された。
駕龍:龍に乗る。また龍の引く車に乗る。中国古代の伝説上の天子、黄帝の故事から「龍に乗って去る」という言葉は、天子の崩御のイメージとして用いられる。詳しくは「林羅山の漢詩(2) 久能宮」を参照。
黎元:人民、民衆。
大統:天子の位。皇統。

餘論

昭和節なので、戦前最大の言論人徳富蘇峰が昭和天皇の践祚の際に詠んだ詩を紹介します。

生前退位でない限り、新帝の即位は先帝の崩御と同時になるため、それを詠む詩も祝賀一辺倒とはいきません。この詩では、前半を大正天皇の崩御を悼み悲しむ内容に充て、転句から一転して新時代の始まりをことほぐ内容に変化させています。絶句のもつ「起承転結」という構成上の特徴をうまく活かして内容と合致させたといえるでしょう。詩の最初を「大正」で始め、最後を「昭和」で締めくくっているのも実に巧みです。

昭和天皇は皇太子時代からすでに5年にわたって摂政宮として病気の大正天皇の大権を代行していましたが、正式に登極するとなれば、若き新帝を戴く新時代を迎えることになるという昂揚感が国民の間に満ちたことは想像にかたくありません。この詩の後半は予定調和といえば予定調和ですが、そのような国民一般の昂揚感を代弁したものともいえます。ただ、その新時代が六十余年にわたる激動の時代になるとは蘇峰も予想はできなかったでしょう。