近藤勇の漢詩 失題

作者


原文

失題

丈夫立志出東關
宿願無成不復還
報國盡忠三尺劔
十年磨而在腰閒

訓読

失題

丈夫 志を立てて 東関を出づ
宿願 成る無くんば 復たとは還らず
報国尽忠 三尺の剣
十年 磨いて腰間に在り

題不明

一人前の男子が志を立てて箱根の関を越えて故郷をあとにする以上
宿願が成就することがなければ、二度と帰ってくることはない
国の恩に報い忠義を尽くすためのこの三尺の剣は
今まさにこの時のために、十年もの長い間磨いて腰にさしているのだ

丈夫:一人前の男子
東關:東の関所であるから箱根の関であろう。あるいは押韻の都合で「關東」の語順を入れ替えたものと見るべきかもしれない。
不復還:部分否定。二度とは~しない。
報國盡忠:国の恩に報い、忠義を尽くす。
三尺劔:一尺はおよそ30cmほど。剣はだいたい三尺ほどの長さなので、「三尺の剣」というのが常套句となっている。近藤勇は辞世の詩でも「快受電光三尺劔」と詠んでいる。(→「近藤勇の漢詩(1) 辞世 其二(辞世 其の二)」)
十年磨:頼山陽《題不識庵撃機山圖》「遺恨十年磨一劔 流星光底逸長蛇」

餘論

前回、月性の《將東遊題壁》を紹介した際に、「近藤勇はこの詩の前半をほぼそのまま用いた詩を詠んでいます」と書きましたが、肝心のその近藤の詩をまだ紹介していないことに気づいたので、この機会に紹介しておきます。文久3年(1863年)3月、京へ上って会津藩預かりの壬生浪士組となった直後、近藤が故郷の養父・近藤周斎らに送った手紙に添えられていた詩です。

月性の詩と比べていただければ一目瞭然ですが、前半の起承二句は月性の詩とほぼ同じです。語句は一部変えてありますが、句意は全く同じと言ってよいでしょう。現代的な観点からすれば、剽窃とか盗作とか言われかねないでしょうが、近藤としては、手紙を送った養父周斎らも月性の詩を知っていることを前提として(幕末、月性の件の詩は広く人口に膾炙していました。あるいはかつて一緒に愛唱していたのかもしれません)、いわば「本歌取り」としてその詩句を借りたというところでしょう。もし専業の詩人の作であれば、本歌取りとしても、もう少し工夫が欲しい、と思うところですが、私的な手紙に書きつけた詩にそこまで目くじらを立てなくてもいいかなと思います。

むしろ個人的には、結句の「十年磨而」の「而」が気になります。近体詩に「而」はなじまないので、「十年磨來(磨き来たって)」くらいに添削したい思いに駆られます。