作者


原文

聞赤十字社看護婦赴歐洲

白衣婦女氣何雄
胸佩徽章十字紅
能療創痍盡心力
回生不讓戰場功

訓読

赤十字社看護婦の欧州に赴くを聞く

白衣の婦女 気 何ぞ雄なる
胸には佩ぶ 徽章十字の紅
能く創痍を療し心力を尽くす
回生 譲らず 戦場の功

赤十字社の看護婦がヨーロッパへ赴くのを聞いて

白衣を身にまとった婦女たちの意気はなんとさかんなことであろうか
その胸には赤い十字の徽章をつけている
彼女たちは気力と体力を尽くして負傷兵たちの傷をいやすことができる
瀕死の命を救うその功績は、兵士が戦場で立てる手柄に劣らないのだ

赴歐洲:第一次世界大戦勃発後まもなくの大正3年8月、日本赤十字社は活動を開始し、連合国の英仏露の要請に応じてヨーロッパの戦場へ派遣され、日本赤十字史上初の国際救護活動を行った。
佩:もとは、帯につける垂れ布のこと。転じて、帯にさげる、身に帯びる、の意。
創痍:もともと刃物で受けた切り傷のことだが、ここでは負傷全般。
心力:心と力。心身。また、心の力、気力の意味もあるが、ここでは気力と体力ともに尽くして、という意味であろう。
回生:瀕死の状態からよみがえらせる。生き返らせる。

餘論

日本赤十字社は、明治10年(1877年)に西南戦争に際して設立された博愛社を前身として、明治20年(1887年)設立されました。翌年には磐梯山噴火に際し、赤十字社として世界初の平時災害救護をおこない、1890年のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事件、さらには日清・日露戦争と、救護活動の実績を重ね、国民に広く知られる存在となっていきましたが、赤十字社を詠んだ漢詩はあまりなかったでしょう(先行する作品としては伊藤博文の「即吟して園山赤十字社支部長に贈る」があります)。新たな素材を積極的に詩に取り込もうとした大正天皇の意欲と、それを可能にした筆力には敬服するほかありません。

歴代の皇后陛下が名誉総裁を務めるなど日本赤十字社と皇室の関係には浅からぬものがありますが、この詩もそんな歴史の中の1ページと見ることができるでしょう。日赤に就職された敬宮殿下は玄孫にあたりますが、大正天皇ならどんな漢詩を詠んで贈られたか想像してみたくなります。