作者

広瀬武夫

原文

聞鵑

千里遠遊寓帝郷
懷家腸斷故國情
窗前殘月已將曉
廉外一聲叫子規

訓読

鵑を聞く

千里 遠遊して 帝郷に寓す
家を懐へば 腸は断つ 故国の情
窓前の残月 已に将に暁けんとし
廉外の一声 子規 叫ぶ

ホトトギスの声を聞く

故郷から千里も遠く離れて帝都に仮住まいしているが
故郷の家を思えばはらわたが断ち切られるほど切なく望郷の念がつのる
(あまり眠ることもできないまま)窓には残んの月が見えて、もう間もなく夜が明けそうで
簾の外からホトトギスがひと声、叫ぶように鳴くのが聞こえた

鵑:杜鵑。ホトトギス。真っ赤な口を開いてけたたましく鳴くことから、「啼いて血を吐く」鳥として、古来多くの詩に詠まれた。また、古蜀(殷周期から戦国時代まで長江上流に存在した国)の君主望帝(姓名は杜宇)は亡くなった後、ホトトギスと化して蜀の民に農耕の開始時期を鳴き声で知らせていたが、古蜀が秦に滅ぼされてからは祖国の滅亡を嘆き悲しんで「不如帰去(帰り去るに如かず)」と血を吐きながら鳴くようになった、とも言う。このため、漢詩においてホトトギスの声は、望郷の念や旅愁、異郷に生きる悲哀と密接に結びつく。
帝郷:天子(帝)の居られる土地。帝都。
腸斷:はらわたが断ち切られるほど甚だしく悲しむこと。いわゆる断腸の思い。
子規:ホトトギス。ホトトギスの漢語名は「杜鵑」「杜宇」「子規」「蜀魂」「蜀魄」「不如帰」など多数ある。

餘論

広瀬武夫は、海軍と柔道と漢詩を「俺の嫁」として「俺には嫁が多すぎて困る」とうそぶいていたそうですが、さすが嫁扱いするだけあって、有名な「正氣歌」など遺された詩からは相応の作詩技量が見てとれます。

ところが、この詩に限っては全篇にわたって瑕疵が多く、どうしたことかと戸惑わざるを得ません。上揭の原文は『広瀬武夫全集』(講談社)に従っていますが、そもそも押韻が全く成立しておらず、「郷」(下平声七陽韻)「情」(下平声八庚韻)「規」(上平声四支韻)、すべて異なる韻目です。このままでは詩とは言えません。ひょっとしたら推敲途中のまま完成することなく残った作品なのかもしれません。

起句の「郷」は「京」と混同したものでしょうか。この詩の文脈では「帝郷」でも「帝京」でも意味は同じですし、広瀬には「辭帝京(帝京を辞す)」という題の詩もあります。また、結句の韻字を「鳴」にすれば「京」「情」「鳴」すべて庚韻で揃います。ただし結句下三字を「子規鳴(仄平平)」にしてしまうと、「規」が失粘となりますし、また、四字目の「聲」が孤平です(原作のままでも「聲」は孤平)。「子規」を「杜宇(仄仄)」とか「蜀魄(仄仄)」にすれば失粘は免れますが、「聲」の孤平は解決されません。そもそも「聲」も庚韻ですから、これを韻字に持ってくれば冒韻も解消されて一石二鳥です。「簾外新鵑叫一聲(平仄平平仄仄平)」あたりが穏当な改善案でしょうか。

また、起句の四字目「遊」も孤平です。これは五字目の「寓」を、ほぼ同義で平声の「僑」にすれば解決できます。さらに、承句の平仄が平平平仄仄仄平となっており、六字目が失粘ですが、ひょっとしたら「國」は正しくは「園」だったのかもしれません。手書きのくずし字では「國」と「園」は似ていなくはないので翻刻の際に間違った活字にしてしまった可能性もあると思います。意味的にもこの詩の文脈であれば「故國」も「故園」でも「ふるさと」の意で違いはありません。

そんなわけで、もし僕がこの詩を添削するとしたら

千里遠遊僑帝京
懷家腸斷故園情
窗前殘月已將曉
簾外新鵑叫一聲

千里 遠遊して 帝京に僑す
家を懐へば 腸は断つ 故園の情
窓前の残月 已に将に暁けんとし
廉外の新鵑 一声を叫ぶ

という感じになるでしょうか。詩意をほとんど変えずに済んだのは、形式上の瑕疵はあっても、詩情と構成はしっかり練られているからです。

なお、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(2009年11月~2011年12月放送)の中では、藤本隆宏さん演じる広瀬武夫がこの詩を吟詠する場面があります(89分版のみ。44分版ではカット)が、よりにもよって瑕疵の多いこの詩が何故選ばれてしまったのか不思議でなりません。広瀬武夫の作品であることに間違いはないので、時代考証の先生方としては異議を唱える理由はなかったのでしょうが、吟詠の指導をしたのは恐らく詩吟界隈の方でしょうから、せめてその方が「この詩はちょっと・・・」と難色を示してくれれば良かったのに、と思ってしまいます。