作者


原文

訪阪谷朗廬

芳雨彩雲隨處新
此間轉欲試吟呻
催來紅友爲通刺
先探君家無限春

訓読

阪谷朗廬を訪ふ

芳雨 彩雨 随処に新たなり
此間 転た 吟呻を試みんと欲す
紅友を催し来たって通刺と為し
先づ探らん 君が家 無限の春

阪谷朗廬を訪ねる

かぐわしい春雨、色どり美しい雲のように咲き誇る花が、どこを見ても新鮮で
こんな季節には詩を詠んでみたい気持ちがますます強くなります
そこでこのお酒をお勧めして名刺代わりとし
まずは先生のお宅の無限に素晴らしい春を訪ねてみようと思います

阪谷朗廬:1822年12月29日(文政5年11月17日)~1881年(明治14年)1月15日。幕末備中国の儒学者・漢学者。父の転勤にともなって、大坂で大塩平八郎、江戸で古賀侗庵などに師事して漢学を学んだ。26歳で郷里に戻ってからは、代官所が川上郡寺戸村(現井原市)に設立した郷校「興譲館」(のちの興譲館高等学校)の初代館長として後進の指導に尽くした。維新後は陸軍省や文部省、内務省で官職を歴任した。大蔵大臣や東京市長を歴任した息子の芳郎の妻は渋沢栄一の次女琴子。
芳雨:かぐわしい雨。花の季節に降る雨。花に降る雨。
彩雲:朝日や夕日に照らされて色どりの美しい雲。ここでは美しい雲のように咲き誇る花と解した。
此間:このごろ
轉:うたた。いよいよ。
吟呻:呻吟。うたう。となえる。
催來:「催」は「うながす」。「來」は動作の開始や方向性をあらわす助字。
紅友:酒のこと。
通刺:名刺を出して面会を求めること

餘論

慶應元年(1865年)3月、一橋家の歩兵取立御用掛となった渋沢が、募兵のため一橋家の領地であった備中国後月郡井原村(現井原市)を訪れた際、この詩に一樽の酒を添えて阪谷朗廬に届け、面会を求めました。翌日、渋沢は興譲館を訪ね、その後さらに今度は朗廬が渋沢の客舎を訪ね、大いに時事を論じたといいます。朗廬は当時の儒学者としては珍しく開国派であり、これに対して渋沢は攘夷を主張して激論になりましたが、意見が異なっていても険悪になることはなく、かえって意気投合したようで、渋沢自身は「誠に近頃の愉快であつた」(『雨夜譚』)と述べています。