山県有朋の漢詩 久能山に上る

作者


原文

上久能山

三百昇平一夢間
英雄事業幾辛艱
松靑沙白駿南路
來弔將軍埋骨山

訓読

久能山に上る

三百の昇平 一夢の間
英雄の事業 幾辛艱
松は青く沙は白し 駿南の路
来たり弔らふ 将軍 骨を埋むるの山

久能山にのぼる

徳川三百年の泰平も今となってはひとときの夢の間の出来事のよう
家康という英雄が大事業を成し遂げるまでの艱難がどれほどだったかと思えば感慨深い
白砂青松のつづく駿河南部の道を通り
私はいま、家康が骨を埋める山を尋ね来てその霊を弔っている

久能山:静岡県静岡市駿河区の山。標高216メートル。江戸幕府を開き大御所時代を駿府で過ごした徳川家康をまつる久能山東照宮がある。
三百昇平:三百年の泰平。
英雄:徳川家康のこと。
駿南:駿河の南
將軍:徳川家康のこと。

餘論

維新後、明治政府、特に陸軍の中枢を担うようになった山県有朋が久能山東照宮を訪れて詠んだ詩です。

徳川三百年の泰平を「一夢の間」で片づけてしまっているのは、まさに徳川の世に終止符を打った側の人間の視点ですが、それでも家康を「英雄」と表現し、その艱難辛苦に思いを馳せているあたり、家康への敬意が感じられます。家康が築き上げた徳川の世とは全く異なる、新たな明治の世を作り上げなければならない立場に立たされからこそ、家康の偉大さが身に染みて感じられたのかもしれません。