松平春嶽の漢詩 一月一日口号

作者


原文

一月一日口號

陽暦初開萬國春
乾坤何物不欣欣
時平品海千檣船
旭日旌旗映曙雲

訓読

一月一日口号

陽暦 初めて開く 万国の春
乾坤 何物か 欣欣ならざらんや
時 平らかなり 品海 千檣の船
旭日の旌旗 曙雲に映ず

一月一日に口ずさんでできた詩

日本でも今日から太陽暦となり万国共通の新春を初めて迎えた
天地のうちに、生き生きと喜んでいないものなどありはしない
天下泰平の時世、品川の海にはたくさんの船の帆柱が並び
日の丸の旗が曙の雲に照り映えている

口號:口ずさむ。
陽暦:太陽暦。明治政府は、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を改めて明治6年1月1日とする改暦を実施し、以後、日本の公式な暦は欧米諸国と同じ太陽暦(グレゴリオ暦)となった。改暦の背景については「日本の太陽暦(グレゴリオ暦)導入(明治改暦)150年」を参照。
欣欣:楽しみ喜ぶ。また草木が生き生きとしている。
品海:品川の海。
旌旗:旗。旗の総称。

餘論

今年(2023年)の元旦で、日本が太陽暦(グレゴリオ暦)を採用して150年になりました。その明治改暦当日に松平春嶽が詠んだ詩です。改暦の背景には財政難に苦しむ明治政府の苦肉の策という下世話な面もありましたが、大きな目で見れば文明開化の一環であったことは間違いなく、越前藩主時代から洋学の導入に積極的だった開明派の春嶽としては歓迎すべき改革だったと思われ、この詩からも彼の晴れ晴れとした気持ちが伝わってきます。

詩中に「万国の春」と言っていますが、実際にはこの当時グレゴリオ暦を採用していたのは欧米のカトリックおよびプロテスタント諸国(とその植民地)のみであって、清や朝鮮、シャム、オスマン帝国などのアジア諸国はもちろん、正教会を奉じるロシアやギリシアもグレゴリオ暦ではありませんでした。しかし、当時の日本は欧米の「文明国」への仲間入りを切望しており、春嶽にとっても多くの日本人にとっても、それらの「文明国」こそが「万国」だったのです。