新島襄の漢詩(1) 有感(感有り)
作者
新島襄
原文
有感
男兒決志馳千里
自嘗辛苦豈思家
却笑春風吹雨夜
枕頭尚夢故園花
訓読
感有り
男児 志を決して 千里を馳す
自ら辛苦を嘗むるに 豈に家を思はんや
却って笑ふ 春風 雨を吹くの夜
枕頭 尚ほ夢む 故園の花
訳
感じることがあって詠む
男子が志を立てて千里の彼方まで駆けていくのだ
みずからすすんで苦難を味わっているのにどうして家をなつかしく思ったりするだろうか
かえって笑ってしまうのは春風が雨を吹く夜には
いまだに寝床で故郷の花を夢見てしまうことだ
注
嘗:なめる。味わう、経験する。
枕頭:まくらのほとり。
餘論
元治元年6月(1864年7月)に函館港から米船ベルリン号に乗り込み、西回りで米国を目指して出航した新島襄が、その航海の途中で詠んだ詩です。新島の『航海日記』の1865年4月25日の項に記載されているものが初稿で、そのころベルリン号はインドネシアのスンダ海峡付近を航行していました。しかし、のちの慶応2年(1866年)に弟の双六に送った書簡の中では、この詩を書き添えて「元治二年三月香港にありて」と詞書を付しています。詩の着想を得て作り始めたのは香港滞在中で、それが一応の形になって日記に書きつけたのが1865年4月25日だったのかもしれません。なお、日記では起句のはじまりを「慨然脱櫪」と書いた後で「男兒決志」に改めており、日記に書きつけた時点でまだ推敲が続いていたことが読み取れます。また、日記では結句「猶夢」であったものが双六への書簡では「尚夢」に改められています。さらに明治16年元日にこの詩を揮毫した際に、起句下三字が「駆千里」から「馳千里」に改められて上褐の形になりました。のち、昭和29年には函館港にこの詩を刻んだ詩碑が建てられます。
詩としては承句の平仄が間違っていますが、キリスト教を学ぶべく米国へ旅立った新島がその感情を表現する文学形式として漢詩を選んでいることに、当時の日本人にとっての漢詩というジャンルが持っていた重要性を感じずにはいられません。
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