木戸孝允の漢詩 失題

作者


原文

失題

霖雨初晴野色淸
殘雲斷處夜山橫
更深一路人行少
邨店隔林燈滅明

訓読

失題

霖雨 初めて晴れて 野色 清し
残雲 断ゆる処 夜山 横たはる
更 深くして 一路 人の行くこと少(まれ)に
邨店 林を隔てて 灯 滅明す

題なし

長雨が晴れ上がったばかりで野原の景色が清らかだ
残っている雲が途絶えているあたりに夜の山が横たわっている
夜が更けてしまって一筋の道を行く人はほとんどおらず
林の向こうに村の店の灯りが明るくなったり暗くなったりするのが見える

霖雨:長く降り続く雨
野色:野原の景色。原野の雰囲気。
更深:「更」は一夜を五つに分けた時間の単位。初更が午後7~9時ころ、五更が午前3~5時ころ。「更深」とは初更から二更、三更・・・と夜が更けていくこと。
人行少:人が行くのがまれだ、ほとんどいない。漢詩では常套句の類に入る。 白居易《長恨歌》「峨眉山下人行少」 耿湋《秋日詩》「古道少人行 秋風動禾黍」
邨店:「邨」は村に同じ。

餘論

街を遠く離れた、田舎の村の、雨上がりの深夜、ものさびしい様子を静かなタッチで描いた叙景詩です。この情景をもし画にしたら、店の灯り以外ほとんど真っ黒になってしまいそうですが、この詩では暗闇の中のひとつひとつのものが読者の目にしっかり見えてきます。純然たる叙景詩というのは作るのが難しいものですが、この詩はその成功例といってよいのではないかと思います。

この詩が詠まれたのは薩長同盟の締結から戊辰の役の間の頃のようですが、そのような時期に静かな心でこのような詩を作る時間を持てたというのは、やはり偉人の偉人たるゆえんなのかもしれません。