福澤諭吉の漢詩 辛卯一月罹流行寒冒熱戲賦(辛卯一月 流行寒冒熱に罹り 戯れに賦す)

作者


原文

辛卯一月罹流行寒冒熱戲賦

東漸風光日日新
已驚人事又人身
滿城狂熱恰如醉
卽是文明開化春

訓読

辛卯一月 流行寒冒熱に罹り 戯れに賦す

東漸の風光 日日に新たなり
已に人事を驚かし 又た人身
満城の狂熱 恰かも酔うが如し
即ち是れ 文明開化の春

辛卯の年の一月、インフルエンザにかかり、ふざけて詩を作る

欧米のものが次々と押し寄せてきて、この国のありさまも日ごとに新しくなっている
これまでもすでに世の中を驚かしてきたが、今ではさらに人の身体をも驚かしている
誰もかれも洋風かぶれの熱に浮かれてきたが、今や本当の熱におかされて酔っぱらっているかのような状況だ
これこそまさに文明開化した証といえる、そんな新年ではないか

辛卯:十干が「かのえ」、十二支が「う」の年。明治24年(1891年)。干支については「「干支」について」を参照。
流行寒冒熱:流行性感冒。インフルエンザ。「寒冒」は正しくは「感冒」。このときのパンデミックは「ロシア風邪」と呼ばれ、1889年10月にロシアのサンクトペテルブルクから本格的に感染が拡大し、4ヶ月ほどでヨーロッパ全域さらに米国へと広がった。日本では1890年暮れから流行が始まり、人気芝居『お染久松』から「お染風邪」とも呼ばれた。1895年まで何度も再流行を繰り返し、全世界で約100万人の死者を出した。原因病原体は特定されていないが、従来はA型インフルエンザウィルスと考えられていた。しかし、高齢者の致死率が異常に高い、神経症状が顕著など、インフルエンザとは異なる特徴が多いことから、現在ではヒトコロナウィルスOC43を原因ウィルスとする見方が有力となっている。詳しくは「明治23年の新型コロナ ― 19世紀最大最後のパンデミック」を参照。
東漸:東に向かってだんだん伝わること。近代以降は、欧米の勢力やシステムが東方のアジアに広まっていくさまをあらわすのに使われる。
風光:景色。眺め。様子。
人事:人の世の事柄。
狂熱:極度の興奮、極度に熱烈な感情。ここでは流感による極度の高熱の意味もかけている

餘論

明治23年(1890年)12月、当時流行していたロシア風邪に感染した福澤が、それを題材に諧謔をこめて作った詩です。インフルエンザを意味する「流行性感冒」という言葉がはじめて用いられたのが、このロシア風邪の時で(当時から21世紀初めにいたるまでロシア風邪はインフルエンザだと思われていました)、福澤もまだ慣れていなかったのか、「感冒」を間違って「寒冒」と記しています。

12月26日に発症した福澤は、年明けの元旦には解熱したものの、それから1週間ほどは衰弱激しく体調不良が続いたようです。その後、福澤自身は快方に向かいますが、福澤を最初の感染者として家庭内感染が起こり、下男下女も含めて家族が次々と発症、一時は「飯を炊く者なく」という状況に陥ったといいます。まさに現在のコロナ禍を思わせるありさまです。

注釈に書いたとおり、このロシア風邪の原因病原体は、コロナウィルスである可能性が提起されています。ヒトコロナウィルスOC43は、ロシア風邪流行前にウシコロナウィルスから変異して発生したと考えられており、まさに「明治の新型コロナウィルス」だといえます。この明治の新型コロナは、1895年まで繰り返された流行の結果、人類が免疫を獲得し、以後はパンデミックを起こすことはなくなりました。「令和の新型コロナウィルス」も同じような経過で「ただの風邪」になる可能性はありますが、それに何年かかるかは誰にもわかりません。「ほっておけばいずれただの風邪になる」というわけにはいかないでしょう。

感染症の拡大をとらえて、「これこそ文明開化」とうそぶくこの詩は随分ふざけているように見えるかもしれません。しかし、文明開化とは「グローバリゼーションの受容」であり、グローバリゼーションとパンデミックが不可分の関係にあるという事実を明治の時代にすでに見抜いていたという意味で、文明開化を唱道した福澤ならではの詩といえるのではないでしょうか。