作者

原文

入京

行行五十有三程
難奈歸心寸寸生
風雨蕭然逢坂路
滿襟紅淚望神京

訓読

京に入る

行き行きて五十有三程
奈んともし難し 帰心の寸寸に生ずるを
風雨 蕭然たり 逢坂の路
満襟の紅涙 神京を望む

京都に入る

東海道の五十三次をどんどん進んできたものの
故郷に帰りたい気持ちが少しずつ生じるのはいかんともしがたい
雨風がものさびしい逢坂の路で
悲しみの涙で襟を濡らしながら京の都を望み見るのだ

行行:どんどん進んでいく 《古詩十九首・其一》「行行重行行 與君生別離」
五十有三程:東海道五十三次の道のり
難奈:いかんともしがたし。どうしようもない。
逢坂:山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の境の地名。東国から京への入り口にあたる要衝の地のため、古代には逢坂関が置かれた。歌枕としても有名。
紅涙:悲しみや怒りで流す血の涙
神京:神州日本の都。京の都。

餘論

文久3年11月、渋沢栄一は従兄の喜作とともに、尊攘の志を抱いて出郷し、江戸を経て京都へ向かいます。当時、騒然たる時代で幕府の警戒も高まっており、道中幕吏の嫌疑を避けるため、従前から知遇を得ていた一橋家の家人平岡円四郎の家来という名義を得ての東海道の旅でした。その効果があってか、11月25日には無事に京に到着します。

出郷にあたって、万一の際に親類への累が及ぶのを避けるため、父からは勘当を受けたという体裁をとっています。方便とはいえ、父に親子の縁を切らせるのはこの上ない親不孝であることは間違いありません。それを踏まえれば、結句の「紅涙」も十分理解できる表現だと思います。

もちろん、当時の情勢から、「紅涙」を、国を憂い世に憤って流す涙と解することもできますが、承句で「帰心」について触れている流れからすれば、家族と故郷から遠く離れた悲しみの涙と解するのが自然でしょう。