遠州洋上作(大正天皇)|遠州洋上の作

2020年4月10日金曜日

大正天皇


作者

原文

遠州洋上作

夜駕艨艟過遠州
滿天明月思悠悠
何時能遂平生志
一躍雄飛五大洲

訓読

遠州洋上の作

夜 艨艟に駕して遠州を過ぐ
満天の明月 思ひ悠悠
何れの時にか能く平生の志を遂げ
一躍 雄飛せん 五大洲

遠州灘で作った詩

夜に軍艦に乗って遠州沖を過ぎる
夜空いっぱい明るく照らす明月を仰げば思いは遥か遠くまでめぐる
いつの日にか日頃の志を果たして
一躍、世界中に雄飛したいものだ

遠州洋:遠州灘。遠州つまり遠江(令制国名。現在の静岡県西部)の沖に広がる海域。
艨艟:軍艦。いくさぶね。
悠悠:のんびり、ゆったりしたさま。あるいは遠く広くはるかなさま。ここでは後者の意味にとった。
平生:普段。平常。
五大洲:五大陸。世界を指す。

餘論

明治32(1899)年10月、当時皇太子であった大正天皇は、沼津から装甲巡洋艦「浅間」に乗船し、神戸の舞子にあった有栖川宮別邸へ向かわれました。その途中で遠州灘を通過された際の感懐を詠まれた詩です。

この詩を伊藤博文が揮毫したものが、翌明治33年5月10日(皇太子御成婚式典の当日)の「中央新聞」附録として刊行され、「世界に雄飛したい」という勇ましい歌いぶりが「気象雄大、八紘を掩ふ」(中央新聞5月8日号における予告)と評判を呼びました。当時の国民からは、次代の帝王にふさわしい壮大で力強い詩だと歓迎されたのでしょう。しかし、そのような時代背景は別にして、さらには天皇の御製ということも無視して、単純に一人の若者の詩として見たとしても、非常に好感の持てる、のびのびとした素直な味わいのある詩です。

ちなみに、このときの有栖川宮家の当主威仁親王は「東宮補導」(皇太子教育係)として皇太子(大正天皇)から兄のように慕われていました。この詩の持つ明るさの裏には、あるいは、兄とも慕う有栖川宮を訪ねていく喜びが隠れているのかもしれません。

なお、石川忠久先生は著書『日本人の漢詩 風雅の過去へ』でこの詩を取り上げておられますが、明治29年10月の作とされています。
その年(=明治29年:引用者注)十月、皇太子は沼津より軍艦浅間に乗り、先に掲げた「布引瀑」の詩の、有栖川宮邸に向かわれた。この艦上で、当時新聞紙上に掲載されて評判になった詩が、生み出された。(以下、「遠州洋上作」詩の解説)
これは何らかの誤解と思われます。明治29年10月の時点では、「浅間」は起工したばかりで進水もしていませんので、皇太子が乗艦することは不可能です。

また、『大正天皇実録』では、この詩は明治40年11月に大韓帝国を訪問した帰りに遠州灘を通過したときの詩であるとしていますが、上述のとおり、この詩は明治33年5月に新聞掲載されていますので、明治40年に作られたというのは明らかに誤りでしょう。やはり明治32年10月の航海の際の作品と考えるのが妥当です。