大正天皇の漢詩 聞靑森聯隊慘事(青森連隊の惨事を聞く)

作者

原文

聞靑森聯隊慘事

衝寒踊躍試行軍
雪滿山中路不分
凍死休言是徒事
比他戰陣立功勲

訓読

青森連隊の惨事を聞く

寒を衝いて踊躍 行軍を試むるも
雪 山中に満ちて路 分かたず
凍死 言ふを休めよ 是れ徒事と
他の戦陣に功勲を立つるに比す

青森連隊の惨事を聞く

酷寒をものともせず勇んで行軍訓練に出たものの
山の中は雪に覆われどこが道なのかわからない
彼らの凍死を無駄なことだなどと言ってはいけない
戦場での勲功に匹敵する貴重な教訓を残したのだ

靑森聯隊慘事:八甲田山雪中行軍遭難事件のこと。1902年(明治35年)1月、日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難し、訓練への参加者210名中199名が死亡した。新田次郎による小説『八甲田山死の彷徨』(1971年)、それを原作として映画化した『八甲田山』(1977年)などで有名になった。
踊躍:おどりあがって勢いよく進む
不分:見分けがつかない
徒事:無駄なこと。遭難事件直後、輿論は「軍の無謀な訓練」として冷淡であったという。
:あの、かの、というほどの意味だが、文字数合わせで使われることも多く、ここでは特に訳す必要はない。

餘論

小説や映画で有名な八甲田山遭難事件に際して、当時皇太子だった大正天皇が詠んだ詩です。注に書いたとおり、事件直後の輿論は冷淡だったものの、この訓練が来たるべき対露戦にそなえた耐寒訓練であったことが明らかになるにつれ、次第に同情と畏敬の声が広がっていったとされます。転句はそのような輿論の動きを背景にしたものでしょう。実際、この遭難事件の体験を活かして軍は防寒装備の改善に努めて日露戦争に臨みましたし、山岳遭難史上にも貴重な教訓を残しましたから、結句の言葉のとおり、彼らはかけがえのない命と引き換えに、戦場での勲功に匹敵する貢献をなしたのだと言えるのでしょう。