伊達政宗の漢詩(8) 水邊月(水辺の月)
作者
原文
水邊月
西風吹後月方新
賓主浮觴猶甚親
此景尤奇見簾外
水邊佳興悩吟身
訓読
水辺の月
西風 吹いて後 月 方(まさ)に新たなり
賓主 觴を浮かべて猶ほ甚だ親しむ
此の景 尤も奇にして簾外を見れば
水辺の佳興 吟身を悩ます
訳
水辺の月
秋の西風が吹き始めた後の今まさに月はその輝きを新たにしている
客である私と主人である和尚と風流に酒を酌み交わし、なおいっそう親しくすごしている
簾の外に見るこの景色は素晴らしすぎて
月に照らされる水辺のすぐれた趣は詩を作ろうとするこの身を悩ませるほどだ
注
西風:西から吹く風。秋風。
方:今まさに、今こそ。
賓主:客と主人。客は政宗自身。主人は東昌寺第16世住持の虚白円真。詳しくは後述。
浮觴:さかずきを浮かべる。文字通りには曲水の宴のように流水に酒杯を浮かべて詩歌のできばえを競うことだが、ここでは風流に酒を酌み交わすというほどの意味であろう
奇:すばらしい
水邊:寺の庭にある池のほとりであろう
佳趣:すぐれた趣。
悩吟身:「吟身を悩ます」もしくは「吟に悩む身」と読むのであろう。「吟身」とは見かけない言葉だが、「詩を吟じる身」という意味か。「苦吟の身(苦吟する身)」なら用例がある。賈島《三月晦日贈劉評事》「三月正當三十日 風光別我苦吟身」
餘論
先日、9月5日は伊達政宗の生誕(永禄10年8月3日=1567年9月5日)から450年でしたので、今回は政宗の詠んだ秋の詩を紹介します。
この詩には自注が付されていて、「寛永五年七月十七日、應饗于東昌寺圓眞長老丈室時所作」とあり、寛永5年7月17日(1628年8月16日)に、仙台城下の臨済宗寺院、東昌寺の住持、円真長老から招きを受けて酒席をともにしたときに詠んだ詩のようです。旧暦の17日ですから、月は満月に近く、その明るい光に照らし出される寺の庭を簾ごしに眺めると、その景色が素晴らしすぎて、なかなか詩にすることができずに苦悶する、という風流人政宗らしい趣向です。世はすでに3代将軍家光の時代、野望を燃やした戦国乱世はすでに遠い昔となり、実質石高百万石とも称された仙台藩の礎を築きあげて泰平の世を楽しむ晩年の政宗の姿がうかがえる作品です。
この詩には自注が付されていて、「寛永五年七月十七日、應饗于東昌寺圓眞長老丈室時所作」とあり、寛永5年7月17日(1628年8月16日)に、仙台城下の臨済宗寺院、東昌寺の住持、円真長老から招きを受けて酒席をともにしたときに詠んだ詩のようです。旧暦の17日ですから、月は満月に近く、その明るい光に照らし出される寺の庭を簾ごしに眺めると、その景色が素晴らしすぎて、なかなか詩にすることができずに苦悶する、という風流人政宗らしい趣向です。世はすでに3代将軍家光の時代、野望を燃やした戦国乱世はすでに遠い昔となり、実質石高百万石とも称された仙台藩の礎を築きあげて泰平の世を楽しむ晩年の政宗の姿がうかがえる作品です。
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