作者

児玉源太郎

原文

陣中作

死屍幾萬瘞山河
亂後村童賣野花
春去秋來功未就
沙場二歳豈思家

訓読

陣中の作

死屍 幾万 山河を瘞(うづ)む
乱後 村童 野花を売る
春 去り 秋 来たるも 功 未だ就(な)らず
沙場 二歳 豈に家を思はんや

戦陣での作

幾万もの兵士のしかばねが山河を埋め
戦乱ののち村の子供は野の花を摘んでそれを売っている
開戦から春が過ぎ秋が来ても未だに功績をあげられない
砂漠の戦場にあること二年といえど、どうして家をなつかしく思うことがあろうか

瘞:うずめる。ここでの意味としては「埋」と同じだが、「埋」は平声なので使えず(平三連になるため)、仄声の「瘞」を用いている。
沙場:砂漠。特に北方異民族との戦場である砂漠を指す。 王翰《涼州詞》「醉臥沙場君莫笑 古來征戦幾人囘」
二歳:満洲軍総司令部が設置されて児玉が満洲軍総参謀長となったのが1904年6月20日、総司令部が大連に入ったのが7月15日、奉天会戦に日本が勝利して児玉が政府に終戦を促すべく東京へ戻ったのが1905年3月であるから、実際に二年間満洲の戦場にあったわけではない(餘論参照)。
豈思家:反語。どうして家を思うことがあろうか、いや、思うことはない。まだ戦功を立てていないから家のことなど思いはしないということ。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』ではこの部分が「不知家」となっている。本稿では『吟詠漢詩選』(横上春峯著 修学社刊 昭和32年8月増訂第八版)に従った。

餘論

満洲軍総参謀長の児玉源太郎が日露戦争中に詠んだ詩です。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」では、遼陽会戦の前のシーンとして児玉(演:高橋英樹)がこの詩を手帳に書きつけている場面が描かれます。原作でも、奉天会戦終了後に東京へ向かう児玉が同行の田中国重少佐に「去年の秋の作だ」としてこの詩を示していますので、やはり遼陽会戦前後に詠まれたものということになります。ただ、そうすると「沙場二歳」どころか満洲に上陸して二カ月弱であり、「沙場二月」の間違いかとすら考えてしまいます。もし1905年になってから詠まれたのであれば、年も改まって足かけ2年目という意味で「二歳」とも取れますが、そうなると今度は転句の「春去秋來」に矛盾します。漢詩に出てくる数字は通常は厳密に考える必要はないのですが、「二歳」はどうも中途半端で、現実に照らし合わせて辻褄を合わせたくなるものの、うまく行きません。ここはもう気にしないほうがいいのかもしれません。