大正天皇の漢詩 楠正成

作者


原文

楠正成

勤王百戰甚艱辛
妙算奇謀本絶倫
臨死七生期滅賊
誠忠大節屬斯人

訓読

楠正成

勤王百戦 甚だ艱辛
妙算 奇謀 本と絶倫
死に臨んで 七生 滅賊を期す
誠忠 大節 斯の人に属す

楠木正成

楠公は勤王のために戦に明け暮れ、大変な艱難辛苦を味わったが
その見事な作戦、すばらしいはかりごとは並外れたものだった
力戦およばず自害するに際しては、七回生まれ変わってでも朝敵を滅ぼそうと誓ったという
まごころからの忠義、偉大な節義というのは、それはまさにこの人のことをいうのである

楠正成:楠木正成。「徳川斉昭の漢詩(2) 大楠公」を参照。
艱辛:なやみ、苦しみ。艱難辛苦。
絶倫:人並はずれて優れていること。「倫」はともがら、同類。
七生期滅賊:正成は湊川の戦いに敗れて自害する際に、弟・正季に向かって「次はどのように生まれ変わりたいか」と尋ねた。正季は「七回まででも人間界に生まれ変わって朝敵を滅ぼしたい」と答え、正成も「(仏教的には)罪深い悪い考えだが、私もそう思う」と同意し、二人で刺し違えた。このことから、「七生滅賊」「七生滅敵」という熟語が生まれ、明治以降には「七生報国」という言葉も生まれた。 《太平記・正成兄弟討死の事》「正成座上に居つゝ、舎弟の正季に向つて、「そもそも最期の一念に依りて、善悪の生を引くといへり。九界の間に、何か御辺の願なる」と問ければ、正季からからと打ち笑て、「七生まで只同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存じ候へ」と申ければ、正成世に嬉しげなる気色にて、「罪業深き悪念なれども、我れもかやうに思ふなり。いざゝらば同じく生を替へて、此の本懐を達せん。」と契つて、兄弟共に差し違へて、同じ枕に臥しにけり。」
誠忠:まごころから尽くす忠義。和製漢語。
大節:臣下としての職分上の大事・大任、守るべき重大事。ここでは偉大な節義というほどの意味であろう。

餘論

大正5年(1916年)の大正天皇の御製詩です。明治5年(1872年)の湊川神社創建から40年以上が経過し、大楠公の忠臣としての評価はすでに不動のものとなっていたわけですが、そのような歴史上の偉人を天皇みずからが称揚するというのはかえって難しそうにも思いますが、この詩にはそのような難渋のあとは見られず、奇をてらうレトリックも排した正々堂々たる詠みぶりとなっています。木下彪の『大正天皇御製詩集』は「語は陳套でも凛として生氣あり、表現の眞率なるが却つて迫力をなせる感あり」と評していますが、けだし当を得た言でしょう。